「空白の12分」に見る技術
ー番組は冒頭に「空白の12分」というコーナーがありましたね。
オープニングトークのことです。久米さんは多分、あまりストレートにオープニングトークとは言いたくなかったんだと思います。「空白の12分」と称して好きなことを喋るというコーナーですね。そのオープニングトークは、やっぱりすごく練られたオープニングトークを必ず持ってくるんですよ。12分という時間を絶対守っていて、終わるんです。だから尺合わせの能力がやっぱりとんでもない。「これ、どうやって終わるんだろう。間に合うのかな」という展開でも見事にトークをたたんでいく。そこはもう技術。すごい技術です。一言一句台本を書いてみたいなことではないんです。間違えてはいけない数字とか、固有名詞とか。そういうものはメモされていましたけど、台本はない。ほぼアドリブのように聞こえる見事なトークでした。
トラブルが当たり前の空間
ー生放送中の緊張感はどうでしたか。
もちろん放送になると多少トーンは変わりますが、そこまでピリッとする感じはないですね。オンエア中になっても、誰も話しかけにくいという感じではなくて、起きたことにすぐ反応できる人。何があっても自分ならどうにかできる自信があったんでしょう。ラジオで育った人って、やっぱりそこは絶対強いと思うし、久米さんはニュースステーションという生放送をずっとやっていたわけで。トラブルが当たり前の空間にいた人です。予想外のことが面白いし、見ている人、聞いている人も楽しいと思う。そこに身を預けることを怖がっていない。

やってみないと分からない
ー実力と経験に裏付けされた余裕がある。
うまくいかなさそうでも、面白そうだなと思ったらやりますね。赤坂を「ニューヨーク」に見立てて中継するとかね。その辺にある建物を見て「あ、カーネギーホールが見えてきましたね」とか言う。久米さんは永六輔さんの番組レポーターで名を上げていろいろなことをやってきたから、これも過去にやったことのあるフレームワークの一つだったようです。正直、オンエアではそんなにうまくいっていない気がしたんですけど(笑)、久米さんはノリノリでやっていました。
あのキャリアだったら、わざわざリスクのあることをやらなくてもいいはず。でも、やってみないと分からない企画もやるんですよ。その姿を見て僕らが反省しましたよ。並の作り手は中途半端にキャリアを積んで「これは安全牌だな」「あれなら鉄板」と見極めて守りに入る。失敗を恐れて攻めの姿勢を忘れる。恥ずかしくなりますね。若い俺らこそが攻めないとダメじゃないですか。久米さんが挑戦し続けているのに縮こまっている場合じゃないですよね。気持ちを新たにさせられました。
永六輔さんへの思い
ーその姿勢の背景には何があったのでしょう。
永六輔さんの番組がずっと頭にあるんでしょうね。久米さんがデビューして、才能を開花させたのは永さんの番組だから。永さんが亡くなった後も「これくらいやらないと納得してくれないだろう」って考えていたんでしょうね。守りに入ると怒られるんじゃないかって。
久米さんは、ラジオは生き様を見せるところ、生き方を提示する場だとよく話していました。それも永さんから教わったこと。だとすれば久米さんはまだまだ余力があるうちに番組を退いたけど、老いていく姿をラジオで伝えるという選択肢もあったかもしれないなと。
民放は戦争を知らない
ー久米さんの著書「久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった 」を読むと、「ジャーナリストは国益を考えてはいけないんです。それで第二次世界大戦の悲劇を生んだんですから」というニュースステーションでの言葉が紹介されていました。
戦争を絶対に繰り返してはいけないという強い信念がある人です。基本的にリベラルなスタンスだったTBSに入ったのも、それは非常に合っていたでしょうね。その報道スタイルとか、基本的な考え方みたいなところとか。
−ニュースステーションを辞める際には民放への愛を語り、「日本の民間放送は原則として戦後に全て生まれました。日本の民間放送、民放は戦争を知りません。国民を戦争に向かってミスリードしたという過去が、民間放送にはありません」という言葉が改めて注目されました。
すごく久米さんらしいですよね。難しいことなんですよ。民放でニュースを自由にやるって難しい。様々な圧力があるからです。
正直に話すから伝わる
ー批判や炎上を恐れない姿勢については。
ラジオは、それがなければダメだと思います。パーソナリティが思っていることを正直に言えない番組なんて誰も聞いてくれない。
