1月1日に81歳で逝去したフリーアナウンサーの久米宏さん。高岡市出身の元TBSラジオプロデューサー、橋本吉史さんは「あのキャリアの人が失敗を恐れずに攻め続けていたんですよ」と、故人の歩みを振り返る。ラジオ番組「久米宏 ラジオなんですけど」で一緒に仕事をした橋本さんが語る、「根っからのラジオ人」久米宏の真髄とは。(聞き手・田尻秀幸)

富山県民のメリット

ー「久米宏 ラジオなんですけど」は久米さんが「ニュースステーション」を終了して、ラジオにカムバックしたTBSラジオのレギュラー番組ですね。ラジオ出身の久米さんが、再びラジオに戻ってきた特別な番組だったと思います。橋本さんがプロデューサーとして担当されたのはいつ頃ですか。

 2011年から14年の間で、約2年間担当しました。

ー第一印象は。

 テレビだけ見ていると、ひねくれ者で大物だし面倒くさい人なのかなと思うでしょう。僕がプロデューサーになったのは、まだ30代前半。若造だったので、かなり緊張してご挨拶しました。

 とはいえ僕は富山出身でしょう。久米さんの「ニュースステーション」をやっていたテレ朝系列の番組って地元では放送していません。そこまで馴染み深くないじゃないですか。だから久米さんのすごさって情報としてしか分かっていなかった。だから他の人よりはビビり方は控えめだったと思います。富山県民のメリットですね(笑)。

TBSラジオで並んで撮影した橋本さん(左)と久米さん

ー実際に一緒に仕事をされてみると?

 やりやすかったですよ。キャリアの差を感じさせないぐらいフラットに接してくれる人でした。最初から「よっ」みたいな感じで。大先輩ですけど、ピュアな少年のような感覚なんですよね。上から物を言うとか、偉そうにするとか、そんなことはもう全く無縁の人。ただピュアに面白いことをやりたいという人でした。神様みたいな人なはずなんだけど、他愛もない話ばかりで、あまり内容を覚えていません。

カープファンに刺さる富山第一

ー橋本さんは富山出身だから故郷の話をすることは?

 当然ありますよ。印象的なのが、2014年の全国高校サッカー選手権大会かな。富山第一が星稜に勝って優勝したじゃないですか。それを久米さんに暑苦しく語りました。

 星稜は全国から優秀な選手を集めてくるジャイアンツみたいな学校。逆に富山第一は地元第一。プロ野球なら広島カープのような存在です。つまり広島が巨人を倒して優勝したっていう話なんですよ。富山県民にとって非常に痛快でした。根底にあるのは歴史的な経緯です。かつて加賀藩の支配下にあったという歴史が今も富山の人たちの心理にうっすらと影を落としています。そういう地域性が前提にあった上での勝利だと。

 久米さんはカープファン。ハングリー精神と反骨精神の塊です。だから久米さんにも刺さった。こんな雑談がきっかけで隣県対決みたいな企画もラジオでやったんじゃないかな。

-そこまで言われたら久米さんは富山に肩入れしますね。

 絶対そう。多分、金沢より富山が好き(笑)。あと久米さんにはよく富山の菓子を食べてもらっていました。もともと甘いものが好きなんですけど、体型維持を大切にされているから普段は食べないんです。でもスタジオに置いてあるものはいいという独自のルールがあったみたいで。だから富山に戻るたびに「江出の月」や「かささぎ」とか久米さんに合わせて、玄人好みな銘菓を買って帰りました。「ふーん、変わった味するね」とか言って食べていましたよ。

テレビは宣伝だった

ーテレビの一時代を築いた人というイメージがありますね。

 でも、スタートは永六輔さんのラジオ番組のレポーターなんですよ。アイデンティティーは相当ラジオ。テレビに出始めた時も、ラジオでの知名度を上げるためにテレビで宣伝するみたいな感覚だったそうです。だから、テレビに行きたいというよりは、ラジオを何とかしようみたいな気持ちだったとおっしゃっていましたね。どこまでいっても根底にあるんでしょうね。

ー「久米宏 ラジオなんですけど」は2006年から2020年まで続きましたね。久米さんが「ニュースステーション」を辞めた後に初めて持ったレギュラー番組です。

インタビュー中でも言及されていた久米さんの著書「久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった 」

 15年は長い部類に入ります。放送局の方も、久米さんほどの実力者を迎えたからには、そう簡単には終わらせない覚悟があったと思います。とはいえ、面白くなかったり、数字が取れなかったり、スポンサーがつかなかったりすれば、どれほど大物でも守れない。番組自身がちゃんと支持されて、面白かったと思います。

 ご本人が著書「久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった 」で書いていますが、テレビだと自分はその中で「演じる」という感覚が近い。あとテレビは演出家のものだけど、ラジオは自分のものという意識があると。ラジオは聞き手が限られているため、とても身近な存在。ご自身の番組の聞き手の1割ぐらいは、おそらく永六輔さんの番組で若い頃の自分がレポートをやっていた頃からの人もいるだろうと。共同体感覚に近いものがあると話していました。ラジオでは、自分がどれだけくだらない話をしても、わかりにくい話をしても、実験的な企画をやったとしても、受け入れてもらえると。心底楽しんでいたんだと思いますよ。

資料を読み込みまくる

ー仕事の進め方はどうでしたか。

 すごくフラットでしたね。意見をちゃんと聞いてくれる。とはいえ、大御所だからこそ若手の言うことを全部聞こうという感じでもなくて、「そんなことやっても、面白くもなんともないよ」と普通に言ってくれる。でも威圧的な感じじゃなくて、同じ目線で話している番組の作り手同士みたいな感覚。いいアイデアが出ると、すごく楽しそうに「おお、じゃあこれをこうやって、こうかな」って乗ってくる。番組を一緒に作る相手としては、打てば響くという感じの人でした。

 あれくらいのキャリアになってくると、別に打ち合わせがそこまで綿密じゃなくても通用しそうなもの。久米さんほどの実力があれば、放送直前に来て、さっとやれば、それでも面白い放送ができるでしょう。でもそうじゃない。

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