11年ぶりにJ2で戦ったカターレ富山は、17位でシーズンを終えた。苦しい戦いが続いたが、その中で蓄えた力が最後に爆発して奇跡的な大逆転で残留を決めた。あの歓喜の瞬間に帰結した約10カ月にわたるシーズンを振り返る。
あと3試合の時点では、残留圏の17位まで勝点7差の崖っぷちにいた。そこから3連勝し、最終節では大量4得点を挙げて得失点差をひっくり返した。残留を決める得点は後半アディショナルに生まれている。99年にJ2が創設されてから、10位以下の下位がラスト3試合を全勝したこと自体、13年11位・横浜FC、14年12位・栃木SC、コロナ禍で降格がなかった20年の20位・群馬の3例しかなかった。カターレはJ2史上かつてない逆転残留劇を演じたと言える。

当初から苦戦を覚悟し、「不屈」をスローガンに掲げていた。前年はJ3の3位。初めて行われた昇格プレーオフで最後の枠に滑り込んだ。前年J3の2位で昇格した24年までの8例のうち、1年での降格決定を免れたのは4例。20年のJ2は降格がなかったため自力での残留確率は7分の3。ましてや3位だったカターレは降格候補の筆頭とみられていたが、長いシーズンの果てにそんな下馬評を覆してみせた。
好発進もつかのま J2の壁にぶつかる
年始の新体制発表会で左伴繁雄社長は「一桁順位を目指す」とぶち上げたが、低い目標設定を嫌ったからに過ぎない。2月の開幕直前に小田切道治監督は「我々は名実ともに20番目。一つずつはい上がっていこう」と選手に呼び掛けていた。
開幕スタメンの平均年齢25.55歳は20クラブで4番目に若かった。J3暮らしに終止符を打つため選手層の若返りを進め、前年の昇格決定に貢献したFW碓井聖生、MF高橋馨希ら2年目の4人をはじめJ2初挑戦となる20代前半の生え抜きが主力を担うようになっていた。開幕戦では、2年目のDF西矢慎平のシュートのこぼれ球を3年目のMF伊藤拓巳が押し込み、同23.73歳とさらに若いチームだった愛媛を1-0で下した。

第2節・千葉戦は完敗を喫したが、ホーム初戦の第3節・甲府戦は「超アグレッシブ」を掲げて快勝。第4節では前年J1の磐田も3-1で下して早くも3勝目を挙げ、かつてJ2に在籍した09~14年に一度もなかった3位に浮上した。エースの碓井にもJ2初ゴールが生まれ、新たな舞台への適応がスムーズに進んでいるかに見えた。
だが、翌節からは勝利から遠ざかり、J2の壁に直面した。J3で培った粘り強い守りは通用していたものの、J2勢の堅守に対して攻撃面で苦労し、第5節から4試合連続してノーゴールに終わるなど得点が伸び悩んだ。ゲーム運びの巧さや戦術的な引き出しの多さでも相手が一枚上だった。選手交代やフォーメーション変更を交えた相手の攻勢に対応しきれずハーフタイム明けに失点するケースが頻発し、先取点を奪った4試合も2分2敗と勝ちきれなかった。5月17日の第16節・札幌戦に逆転負けし、リーグ戦の未勝利は約2カ月、12試合(6分6敗)に。直後にルヴァンカップでの敗退も決まり、同25日の天皇杯1回戦・順天堂大戦の勝利を最後に、22年9月から指揮を執っていた小田切監督が解任となった。
