1925年に「治安維持法」が制定されて今年で100年。45年に廃止されるまでの20年間、思想や言論の弾圧が国家権力によって激しく行われ、植民地も含めて約10万人が検挙された。その結果、小説「蟹工船」で知られる小林多喜二ら200人近くが拷問や虐待で死亡し、病気などの獄死者も約1500人以上にのぼる。その中でも戦時下における最大の言論弾圧とされるのが朝日町が発端となった「泊・横浜事件」だ。事件の中心人物、細川嘉六(1888~1962)について研究する金澤敏子さん(74)=入善町=は、改めて「二度と物言えぬ世の中にしてはいけない」との思いを新たにする。

「闇いよいよ深ければ星の光いよいよ輝く」としたためた細川の書

治安維持法とは

 国体(天皇制)や私有財産制度を否定する目的での結社を取り締まることを狙った治安維持法は、簡単に制定されたわけではない。議会や弁護士団体、報道機関から上がった反対の声を押し切って成立した。当初は慎重に運用されていたが、戦争遂行のため、2度の“改正”を経て人民弾圧の強力な武器となる。

 「特高警察」を全国に配置し、政党、労働団体、出版社だけでなく、教師や学生まで罪なき人々を徹底的に検挙、拘束しては凄惨(せいさん)な拷問を加えるなどして弾圧。次第に「物言えぬ社会」を形成させた。

 1987年に出版された「忘れてならぬ歴史」(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟県支部編)には、同法違反で起訴された県内関係者約80人が掲載されている。ほとんどが20~30歳代の若者で、中には女性もいる。

残り1333文字(全文:1986文字)