わたしの正月は2月まで続く。
正月の一番の楽しみといえば?そう、雑煮だ。なにを隠そうこのわたし、雑煮が大好物なのである。
にんじんとごぼうのささがき、焼き豆腐、こんにゃく、富山名物巻きかまぼこ(赤)。そして、素焼きにしたふくらぎのほぐし身を入れる。漢字で書くと「福来魚」というなんとも縁起のよい魚である。かつお節で出汁をとり、味つけは醤油と砂糖。餅は角餅で、ぷくっとふくらむまで焼く。
そんないとしの雑煮だが、1年に1度、正月しか食べることができない。雑煮は正月に食べるものだとわたしの頭が勝手に決めてくるのだ。だから新年早々、新年が待ち遠しい。

しかし3年前、はたと気づいた。正月だとわたしが思ううちは、それはまだ正月なのではないかと。
そんなわけで、その年から、正月気分が抜ける日まで雑煮を食べてよいことに決めた。だからここ3年、わたしの正月は2月までなのだ。
だが、毎年ひとつ問題が起こる。2月に去った正月気分が3月半ばに帰ってくるのだ。いやいやだめだめと、泣く泣く正月気分を追い返す。さすがに正月が2度あるのはまずいし、1度許したらきりがない気がするからだ。そうは言っても、雑煮はたまらなく恋しい。そこでわたしは思うのだ。早く新年にならないかなと。
正月は2月まで延びたが、それでも10カ月間は首を長くして待ち続けることになる。まもなく天井に頭が突き刺さるという頃、やっと雑煮と再会できるのだ。天井まで約240㎝だから、わたしの首は1カ月に8㎝、餅と同じくらい伸びるという計算になる。
雑煮と一言で言っても、いろんな雑煮がある。味、具材、餅の形、餅の調理法など、人によって違いが大きい。雑煮といえばわたしはやはり食べ慣れたあの雑煮を思い浮かべるし、人もそれぞれそうなのだろう。めいめい慣れ親しんだ自分だけの雑煮があるのだ。
そうか。雑煮は家なのだ。心が帰る家なのである。ほっと安心する、雨や風から身を守るあったかい場所。自分の居場所。
白味噌味や、餡入りの餅を入れるなど、わたしの雑煮とはずいぶん違うものもある。わたしにとっては家ではないその雑煮も、誰かにとってはかけがえのない我が家なのだろう。
そんな雑煮の家はきっと和室だ。にんじんとごぼうの畳、こんにゃくの障子、焼き豆腐のこたつ、かまぼこの座布団、餅の布団。ふくらぎとわたし、2人暮らしの家である。
落ち込んで餅の布団でひとり寝るもよし、焼き豆腐のこたつに横になってにこにこふくらぎと話してもよし。何もなくても、家にはいつでも帰ってよいのだ。
雑煮は家なのだから、いつでも食べてよいのではないか。そう、正月じゃなくても食べてよいのだ。
今年からわたしの正月は1年中続くだろう。
1999年3月生まれ。黒部市在住。歌人。2022年に第1歌集「すべてのものは優しさをもつ」(ナナロク社)を刊行。