県内のプロスポーツチームが能登半島地震の被災地支援に取り組んでいる。選手らが現地でのボランティア活動に参加したり、試合会場で募金を呼びかけたりし、日頃の応援への恩返しの気持ちを込めて活動を続ける。チーム関係者は「息長く支援をしていきたい」と力を込める。(富山大3年・藤野拓実)

 「スポーツチームには、日頃応援してくれている地域の方々を元気にする役割がある」。そう語るのは、サッカーJ2のカターレ富山で「能登半島地震復興支援プロジェクト」を企画した経営企画部長、齋藤徳宏さん(52)だ。

 能登半島地震は昨年の元日に起き、県内でも甚大な被害が出た。カターレ富山は発災直後から募金活動を行い、昨年1月の新体制発表会では選手が協力を呼びかけた。募金はホーム戦の毎試合で実施し、昨年12月中旬までに約190万円が寄せられている。

サッカー教室で子どもたちと交流するカターレ富山の選手ら=昨年8月、氷見市B&G海洋センター

 子どもたちを元気づけようと、昨年8月には選手がサッカー教室を企画した。被災地の氷見市内であったイベントの一環で開催し、選手全員とスタッフ、スクールコーチが児童ら約60人を指導。子どもたちとボールをドリブルでつなぐリレーや試合を行うなどして大盛り上がりだった。

ボランティア活動

豪雨被害を受けた輪島市町野町で土砂をかき出すカターレ富山のスタッフら=昨年10月

 支援の中でも特に力を入れるのが、被災地でのボランティア活動だ。齋藤さんは仙台市出身で地震を何度も経験。1978年の宮城県沖地震で友人を亡くし、2011年の東日本大震災では実家が損壊した。「家に住めなくなる大変さ、つらさはよく分かる。前を向きたくても向けない人のために動きたい」と言う。

 能登半島地震後、チームのスタッフは協賛企業の従業員らと氷見市の被災家屋から家財を搬出したり、側溝にたまった泥をかき出したりした。災害廃棄物の仕分け作業なども行った。

 チームのスタッフのボランティア活動は県内だけにとどまらない。チームドクターの大石央代さんの出身地、石川県輪島市町野町でも実施。地震による隆起で砂浜が広がった大川浜の清掃活動をしたほか、昨年9月の豪雨被害による泥のかき出しを担うなど、毎週のように足を運んで支援し、地元住民との交流を大切にしてきた。「被災者からの感謝の言葉で私たちも元気になる。それが次の活動への原動力になった」と齋藤さん。

カターレ富山のホーム戦に招待され、ハイタッチで選手をピッチに送り出す輪島市町野町の住民=昨年11月、県総合運動公園陸上競技場

 昨年11月のホーム最終戦では、石川県の被災者を観戦に招待した。輪島市町野町の親子ら住民7人だ。7人は試合前、選手たちをハイタッチでピッチへ送り出し、ゴールを決めるとタオルを回して喜んだ。

 輪島市町野町の会社員、山岸雅則さん(51)は地震で自宅が半壊し、9月の豪雨ではライフラインが途絶えるなど相次ぐ災害で大きな被害を受けた。「力強いプレーを目の前で見られて楽しかった。カターレの皆さんをはじめ、支えてもらった富山県や福井県などの人に恩返ししたい」と話した。豪雨被害で転校を余儀なくされたという女子児童は「サッカーの試合を初めて生で見た。選手たちはこれからも頑張ってほしい」と笑顔を見せた。

「明るい話題届ける」

能登半島地震の影響について話す富山ドリームスの(左から)北林選手、高木選手、吉村監督。手前は藤野記者=ひみ番屋街

 氷見市を拠点に活動するハンドボール・リーグH男子の富山ドリームスも、被災地支援に当たっている。

 地震発生当日の元日は、多くの選手が帰省のため富山県を離れていた。練習再開後、活動拠点の氷見市ふれあいスポーツセンターが使えない期間が20日間ほど続いた。拠点を高岡市の竹平記念体育館に移してからも、地震の影響で体育館施設の3分の1ほどしか使えず、リーグ戦再開に向けた準備は順調とは言えなかった。

 「リーグが延期や中止にならない以上、やるしかないと思った」と吉村晃監督(40)。被災地の復旧が進まない中で、「スポーツをしている場合じゃない」という批判を受けることは覚悟していた。それでも「明るい話題を届けられるのはスポーツ選手しかいない」と前を向いた。

氷見市内の側溝にたまった泥をかき出す高校生と富山ドリームスの選手ら=昨年2月

 チームは昨年2月、氷見高校や富山工業高校など県内外3校のハンドボール部員約50人と一緒に、氷見市で側溝にたまっていた土砂をかきだす作業をした。富山ドリームスは選手全員が参加。北林誠生選手(アルミファクトリー)と高木アレキサンダー選手(富山銀行)は「やりがいを感じた」などと語った。

 氷見市ふれあいスポーツセンターでは昨年8月、大阪のチームと復興マッチを実施。「がんばろう北陸」の文字を入れた新ユニフォームを披露した。選手は同市産の木材を使った募金箱を手に、試合会場で観客に協力を呼びかけた。

オークションで寄付

 プロ野球・日本海リーグの富山GRNサンダーバーズは、昨年2月に拠点の高岡市にある新高岡駅南口公園で復興支援のマルシェを開いた。サイン入りのユニフォームやTシャツを出品したチャリティーオークションで得た利益と、マルシェの売り上げの一部である約80万円を義援金として県に寄付した。

 バスケットボール男子Bリーグ2部(B2)の富山グラウジーズや、射水市を拠点に活動するハンドボール・リーグH女子のアランマーレ富山も、試合会場で観客に募金を呼びかけた。バレーボール大同生命SVリーグ女子のKUROBEアクアフェアリーズ富山はファン感謝祭でチャリティーオークションを行うなどしてきた。

今後の被災地支援について語るカターレ富山の齋藤さん(右)ら=県総合運動公園陸上競技場内のクラブ事務所

 能登半島地震から今年の元日で1年。被災地の復旧・復興に向けた歩みは道半ばで、カターレ富山は支援を続ける考えだ。齋藤さんは「被災者を取り残してはいけない。絶対に風化させてはいけない」と強調する。「活動は困っている地域がなくなり、みんなが元気になるまで続ける。チームがJ2に復帰したことで皆さんに元気になってもらいたいし、復興の象徴になれたらいい」

記者メモ チームと県民の信頼 素敵

県内プロスポーツチームによる復興支援について取材する藤野記者=ひみ番屋街

 スポーツチームと地元のまちはどんな関係にあるのだろう。以前、スポーツがまちおこしの一翼を担っているというニュースを目にし、富山県内の状況が気になった。取材で能登半島地震の復興支援に取り組んでいることを知り、特に選手が実際に被災地でボランティア活動に参加していることが印象に残った。

 選手や関係者から「日頃応援してくれる県民に恩返しをしたい」という声を聞き、競技以外でもできることを最大限やろうとする強い気持ちを感じた。

 私の出身地、福井県ではプロのリーグで戦っているチームが少ないので、富山県民が熱心にチームを応援し、チームと県民の両者が支え合う関係性はとても素敵なことだと思う。

 地震の発生から時間がたつと人々の関心も薄れてしまう。県内各チームの皆さんには、今後も被災地を支援し、県外の相手チームのサポーターも含めて多くの人を元気づける活動を続けてもらいたい。

 私も少しでも被災地の方の力になれるような活動に参加したい。社会人になっても、学生時代を富山県で過ごした一人として富山のスポーツチームに関心を持ち続け、県民とのつながりに注目していきたい。

 北日本新聞社は、創刊140周年に合わせて「北日本新聞学生記者クラブ」を発足させました。県内の大学生が地域課題を取材し、執筆する記事を随時掲載します。