富山のフランス料理店の草分けとして知られる「レストラン小西」(富山市)のオーナーシェフ、小西謙造さんは数々の料理人を育て、送り出してきた。その足跡は「富山の食」に大きな影響を与えてきた。半世紀以上にわたって愛されてきたレストランの歴史に今夏幕を下ろす。人柄がにじむ冗談を交えながら、料理人人生を振り返った。(聞き手・田尻秀幸、撮影・竹田泰子)

——大学卒業後、すぐに独立されたんですよね。順調でしたか。

 

 大変でしたよ。全く受け入れられません。スパゲッティーに色が付いていないって怒られたり。甘味料が入った赤玉ポートワインの時代だから、普通のワインが酸っぱいって言われたり。食品サンプルが店頭にないと驚く人もいる(笑)。日々メニューが変わるフランス料理のフルコースでサンプルなんて作れないじゃないですか。

 せっかくキトキトの魚を入れても使いきれない日々が続きましたよ。注文されるのは、ハンバーグとかエビフライばかり。味を追求したいのに、材料を長持ちさせる努力だけが勝るという本末転倒な状況が続きました。

 

 そこでフランスに行ったんです。いろいろな人と交流して、ある街の宿の主人と仲良くなった。大通り沿いで食堂もやってるようなところです。そこで食べた料理がおいしかった。言ってみれば、街の定食屋さんなんですよ。「今日のメニューはこれ」と決めて提供する。それを見て「ああこれだ」って思いました。「お任せ」でやればいいんだって気付きました。

 その時から完全予約制にしたんですよ。そうすりゃ材料にも無駄がないしね。売れ線のメニューもやめて「お任せ」だけに絞る。そこから何とか軌道に乗りましたね。

——長い料理人人生の中で、ご自身の料理は変わりましたか。

 あんまり変わっていないと思いますよ。フォアグラやエスカルゴといったいかにもな材料を使うこともあるけど、富山の恵まれた食材を生かしてフレンチを提供してきました。まあ、社会は変わったよね。海外旅行は当たり前になったし、西洋料理に対する知識が並行して増えた。口幅ったいけど、僕が少しずつ啓蒙した効果もちょっとあったかな。

 

——半世紀以上もレストランが続くのはすごいことです。

 富山の豊かさと温情ですよ。僕のような頭のおかしな男を1人くらい生かしておいてやらないとっていう寛大さです。僕の努力なんてものじゃない。うちは4代続けて来てくれたお客さんがいるんですよ。デートでうちを使ってくれたカップルがお子さんと一緒にまたやって来てくれる。そうやって何十年も支えてきてくれたお客さんがいた。感謝しかありません。

 

 僕がフォークとナイフの使い方を教えてあげた子どもが、今では大人になって自分で子どもに教えているんですよ。「俺が教えたんだぞ」って言いたくなりますよね(笑)

——このタイミングでやめるのは。

 そろそろ潮時っていうだけ。一緒に切り盛りしてくれたうちの奥さんの体も大事だからね。料理人は人の口の中に入るものを作る。責任ある仕事です。だからミスをしちゃいけない。良いタイミングで引退した方がいい。それだけです。

 

——この後はどうされるんですか。

 

 全く考えていません。ヨーロッパを放浪しようとは思っていましたけどね。行方不明になって南米あたりの場末のホテルで発見されたらどうなるのかなって

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