子どもの考え 聞く大切さ
―厳しい指導に、大晶さんが「もう嫌だ!」と言い出すことはなかったのですか。
中学3年の頃は受験のストレスもあって反抗期でした。「ママなんか死ねばいいのに」と言われてすごく傷つきましたが、それでも引かなかった。練習も毎日必ず。我ながら鬼親だと思いますが、「この子は絶対やれる、絶対できる」という信頼があるから厳しくできた。本人も思いを汲み取ってくれたからこそ、やり切れたのではないかと思います。

私は「絶対にこうだ」と思い込みがちな性格ですが、彼が10代の頃に「ママは僕が何を言っても絶対『ダメ』って言うから、意味ないよね」と言われたことがあって。そこでようやく「いけない」と気づくことができました。すぐに「やりたいことがあるなら、なぜやりたいのか、やらなければいけないのか、納得のいく説明と熱意を示してくれたら、お母さんの考えも変わるよ」と伝えました。それからは、彼なりの考え方を話してくれるようになった。今ではすごくいい関係が築けていると思います
海外でのトラブル 乗り越え自信に
―現在は東京を拠点に、海外のトップコーチの元に出向いて指導を受け、世界の舞台で活躍していますね。
ダンスのおかげで国際経験は幼い頃から培われました。高校生になると、兄妹だけで海外に行くこともしばしば。大会のタイムテーブルが開始直前まで示されなかったり、現地までの飛行機がストライキで止まったりと、さまざまな困難に見舞われながらも、日本代表として諦めずに自力で対処してきました。

所持金が少ない中、台風で香港に足止めされ、現地の選手に宿泊先から練習場所まで面倒を見てもらったこともあります。その子たちとは今も良きライバルで親友。10代のうちにこれだけのことを経験すれば、多少何かがあっても「私たちは大丈夫」と自信がつきますよね。相当に鍛えられたと思います。
思う道を恐れずに
―これからのお二人に期待されることは?
二人にダンスを学ばせたのは、心身ともにバランスよく鍛えることで、熱中できる何かを見つけたときに生かせると思ったからです。この道を究めさせようと思ったわけではありません。それでも子どもたち自身がダンスを愛し、アスリートとして高みを目指すとともに、イベントやメディア出演、YouTubeなどを通して、ダンススポーツの魅力を多くの人に伝えようとしてくれている。本当にありがたいことだと思っています。

幼い頃は「うまくなってほしい、日本チャンピオンになってほしい」という一心で、何をすべきか一緒に考えてきましたが、本人たちなりにさまざまな重圧を乗り越え、こちらの期待をはるかに超えて成長してくれました。世界で成績を出すためには、さらなるチャレンジが必要ですが、それは本人たちが一番よく分かっていること。試行錯誤しながら、たくましく突き進んでいます。私から望むことはもう何もありません。あとは自分たちが思う道を、恐れず歩んでいってほしいです。
大西咲菜(おおにし・さきな) 2001年生まれ
南砺市福野地域出身、都内在住。大晶さん6歳、咲菜さん3歳のときに一緒にダンススポーツを始める。日本最高峰の「三笠宮杯全日本選手権」スタンダード部門(2021年、23年)や同ラテン部門(20年、22年)、国際大会「WDSFオープン」10ダンス部門(22年)を制するなど、国内トップクラスの選手として活躍中。妹の陽来里(ひらり)さんも同競技の選手。
YouTube:https://www.youtube.com/@dancerscollege