気鋭の若手作家、辻堂ゆめさんの連載小説「ふつうの家族」が3月1日からwebunプラスで始まります。辻堂さんは、読み手を引き込む巧みなストーリー展開で人気を集める文芸界の注目株。今作では家族の群像劇を通して「世代間ギャップ」という身近なテーマに挑みます。能登半島地震で「家族」の存在が改めてクローズアップされる中、新作について富山の思い出とともに語りました。

「誰にだって1冊分の物語がある」と、新作『ふつうの家族』について語る辻堂ゆめさん

 

 この10年ほどの間で、社会環境が大きく変化してきたと感じます。

 例えばSNSが普及したことで、何かのニュースに対して「普通はこうあるべきだ」「常識に照らして、こんなことはおかしい」などと主張する強い言葉に触れる機会が増えました。そうした中で痛感するのは、何を普通だと思うかは十人十色だということ。「普通」という言葉自体が揺らいでいる気がしてなりません。

 私には5歳年下の弟がいます。「ゆとり世代」の私と、「Z世代」の弟。たった5年の違いなのに、上下関係への考え方などに世代間ギャップを感じることがあります。ましてや親子ほど歳が離れていたら、そこに横たわる溝も実は相当に深いはずですよね。

 この物語に登場するのは、60歳前後の夫婦、会社員の息子、大学生の娘の4人家族です。

 父親と母親は私自身の両親とほぼ同年齢。私は執筆に当たって身近な人を取材することが多いのですが、今回は何時間もかけて父親からじっくり話を聞きました。すると、初めて知ることの多さに驚きました。若い頃は上司から厳しくしごかれて、自分の部下は優しくケアしなきゃいけない。そんな少し気の毒な世代であることも知りました。

消えていく記憶

 家族に取材するのは初めてではありません。「十の輪をくぐる」という作品で、新旧の東京五輪をめぐる親子3代の物語を描いた際、福岡県大牟田市から東京に出てきた過去を持つ祖母に話を聞きました。「今までの作品で1番好きだよ」と言ってくれた祖母が他界したのは、刊行から1年もたたない頃でした。

 祖母が私に教えてくれたのは、どんなに平凡に見える人でも、1冊の小説になるような物語を持っているということです。誰にも語られることなく消えていく記憶が無数にある。その事実に私は圧倒されました。

 だから、今作は私の中で「十の輪をくぐる」とつながっているんです。あの時は祖母、今回は両親。家族というものの在り方を考えていく上でも、私にとっていつか取り組まなければならないテーマでした。

 最近はよく「なぜ社会的な題材を扱うようになったのですか?」と聞かれます。デビュー当時の私はファンタジー要素の強い作品や、青春ミステリーを多く書いていました。たしかに最近は、無戸籍者の問題を扱った「トリカゴ」など、作品を通して社会的な問題と向き合うことが増えています。「答えは市役所3階に」では新型コロナウイルスに翻弄(ほんろう)されながら生きる人々を描きました。

難テーマに挑む

 意識的に社会的なテーマを選んでいるわけではないんです。ただ毎回、これまでの自分を超える作品を書こうとしています。その結果、以前なら書く自信のなかった難しいテーマに、少しずつ挑めるようになってきたのだと思います。

 現在、私には幼い娘と息子がいます。執筆に充てられるのは、子どもたちが保育園に行っている間のみ。どうしても時間が足りないときは寝かしつけてから書く、そんな日々です。この子たちと私もきっと、世代間ギャップを抱えながら、これからも多くの時間を共有することになるのでしょうね。

 読者の皆さんにも、世代は違うけれど大切な誰かがきっといると思います。そうした身の回りの人々との関係と重ね合わせながらこの物語を読んでいただけたら、とってもうれしいです。(談)