日本酒の年間製造量はピークだった1970年代の4分の1まで落ち込む。逆風が吹く中、酒蔵の事業承継に取り組む日本酒キャピタル(東京)の田中文悟社長は不振にあえぐ酒蔵にノウハウを提供し、経営改善に取り組む。2022年には魚津酒造(旧本江酒造)を傘下に収めた。軽妙な語り口には「街から酒蔵の灯を消さない」という信念をにじませる。(聞き手・田尻秀幸、撮影・竹田泰子)

——日本酒キャピタルは魚津唯一の酒蔵「本江酒造」から株式の3分の2を譲り受けました。社名を「魚津酒造」に変更し、「北洋」を主力ブランドとして田中社長が先頭に立って経営を建て直そうとしています。経緯を教えてください。

 M&Aというと企業買収のイメージが強いですけど、私は「事業承継」と言っています。欲しいから手に入れるんじゃなくて、困っているから助けたい。

 

 でもね、お話を頂いた時は迷ったんですよ。私は日本酒と焼酎を含め、東北から九州まで12の酒蔵の再建に関わっています。その経験をもってしても、本当に断ろうかと迷ったくらいひどい蔵の状態でした。

 地元の飲食店や魚津市の職員の方と2日間にわたってタウンミーティングのようなことをした。そしたら皆さんが口をそろえて「酒蔵がなくなったら困る。絶対に応援する」と言ってくださった。

 だから数字も悪いし、蔵も汚くてお金もかかりそうだけど一緒に頑張ろうと決めました。幸運にも良い杜氏が見つかり、再建は順調です。順調にファンを増やしています。

 

——日本酒の製造量はピーク時の4分の1。逆風が吹く中で蔵の再生事業は大変ですか?

 ダメなところを直すだけだから楽観的です。いろいろな蔵を見て具体的な問題を把握しているから、杜氏や蔵人には簡単に指摘できる。蔵の中にずっと長くいる人は何が正解で何が間違ってるか分からないけど、私には見えるものがある。その映像を共有してもらうだけです。

 まあ、メチャメチャ苦労しているというのが本音です。でも、苦労話をするよりも、楽しいですって言い続けてる方がいい。蔵の再生でも長所が伸びれば短所をカバーできるはず。

 日本酒市場のことを言うなら出口を増やすしかない。海外で人気が出れば、逆輸入されて日本の若者にも人気が出る。大切なのは海外の小売店や飲食店にいかにアプローチしていくかですね。今度うちのグループで香港に小売店を出すんですよ。成功したらさらに海外展開を狙います。

——心掛けていることはありますか?

 会社って難しいんですよ。売り上げが上がって毎日忙しくなればいいというのは経営者側の考え。蔵の人たちは意外と違う。稼げなくてもいいからこれ以上忙しくなりたくないと考えたりもする。

 

 でも、「このお酒がおいしい」という声は効くんですよ。一緒に飲食店に行って「変わったよね。おいしくなったよね」という感想をもらったら「彼が作ったんですよ」と紹介する。お客様の言葉で意識が変わる。意気揚々と働き出す。その瞬間に立ち会えるのはすごく楽しい。

——会社のホームページでは「街から日本酒の灯を消さない。酒づくりは街づくり」という言葉を掲げていますね。どんな思いを込めていますか?

 街は酒蔵を中心に発展しました。酒蔵が地方都市の中心だったんですよ。元気な酒蔵がある街は元気だった。

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