——衣装のお仕事を始めたきっかけは、パートナーであるアーティスト、日比野克彦さんの一言だったそうですね。
夫は大学の同級生でした。彼はいつも私に「正解」をくれるんですよ。何かうまくいかないときにアドバイスを求めると、頼りになる。人が好きで、よく見ているんでしょうね。

私は元々、広告代理店のデザイナーを志望していたんですけど、当時は時
代が時代で、女性は就職できなかった。自分のやりたいことが見つからないまま、イラストの仕事をしていたんです。でも食べるためだけの仕事で正直苦しかった。
そんな私に日比野はパフォーマンスの衣装を依頼してくれた。お金にはならないけど、不思議と楽しい。そしたら彼が「絵よりも衣装をやったら」って言ってくれたんです。その言葉を頼りに、収入源だった雑誌のイラストの仕事を全部降りて、自作した服を紹介するページをもらったんです。毎月テーマを決めて服を作って、モデルに着せて撮影するという。その1枚の写真を撮るためだけに1カ月費やしました。
——ぜいたくですね。
そう、とてもぜいたく。今だとあり得ないでしょうね。それを1年間ぐらい続けていると、CMや舞台の仕事が来るようになった。それこそ、自分が入りたかった電通とかから(笑)。バブルに突入する時期でした。

——もし電通や博報堂に入っていたら、今のような仕事をしていないですよね。
それはそうですね。でも、自分がやりたいものを探していたら、出合えるもんなんです。実はアパレルに2カ月だけ就職した時期もあった。当時の部長さんがいい人でしたね。私はロゴやグラフィックのデザインを担当していたんだけど、「あなたのはデザインはいいんだけど、うちのブランドに合わないね」ってはっきりと言ってくれました。その言葉で踏ん切りがついて、自分の創作をすればいいと思えた。

——舞台はいろんな人が関わる。衣装は自分だけの思いではできないでしょう?