長男が結婚しました。いまどきのカップルらしく、式や披露宴はおこなわず、入籍のみで内輪の食事会を開催して祝うというシンプルな儀式です。

  時代錯誤的な慣習を一切考えなくてよかったのは実にありがたく、母のミッションといえば婚姻届に証人としてサインするということぐらいでした。

 ところが同じ内容を記入する書類が3枚もあります。いったい何事かと聞けば、一枚は役所提出用、一枚は本人控え、そしてもう一枚はティファニーのブルーの表紙付きの本人控え、いわば控えのラグジュアリーバージョンなのです。婚約指輪を探して何軒かの宝石店を回ったところ、価格やデザインにそれほど大きな違いはなかったので、最終的な購入の決め手にしたのが、おまけでついてくる「ティファニーブルーの婚姻届」だったそうです。おまけ目当てでキャラメルを買っていた小学生のころと変わってないじゃないか。

 

 ラグジュアリーブランドが扱う宝石の原価はほぼ15%です。グローバル展開する広告、ゴージャスな店舗、そして記念のジュエリーを買う人の心のツボを理解したこのようなサービスにかかる費用が価格に上乗せられているのですね。逆にいえば、その「実質的ではない」部分こそがジュエリーを買う人の心の満足につながっているわけです。ラグジュアリー戦略を考えることは、非合理的な心の働きを考えることと不可分であることがあらためて実感できます。グリコもその線でいえばお子様向けラグジュアリービジネスを展開していたのでしょうか。

 さて、そのような夢のあるラグジュアリーが健在である一方、新しい世代の間で人気を博すジュエリーブランドのなかには、異なるアプローチをとるものもあります。たとえば、アメリカ、カナダ、イギリスで急成長しているMejuri(メジュリ)。ある経済情報番組でこのブランドの存在を知ったのですが、ファインジュエリー(貴金属や本物の宝石)を扱うのに、価格がハイブランドの10分の1程度。広告費を圧縮することで利益を生んでいます。

 経済的にも精神的にも自立した女性が自分のために購入するという今どきの宝石需要に応え、店舗数も1年間で11店から22店へと飛躍的に伸びています。解説者の予言で衝撃だったのはこの一言。「男性が高価なものを女性に贈るという文化は消滅する。そうした行為はすでにキモいと見られている」。ジェンダー平等が大前提で自立志向の強い「デートでの割り勘は当然」という世代においては、記念のジュエリーもおまけではなくシビアに実質的な価格を査定して決める、というメンタリティが育っていくことが予想されます。

 そのような新世代の考え方が普及していくと、夢を高付加価値としてつけるタイプのラグジュアリービジネスの広告表現やサービスまで変容し、ひいては結婚にまつわる文化そのものが変わることが予想されます。価値観が多様化することで、確かな幸福を自力で見出す力がますます強く求められるだろうな、と3枚目の「面倒な」、失礼、「ロマンティックな」書類を書きながら思います。

中野香織/なかの・かおり 富山市出身。服飾史家として研究・講演・執筆を行うほか企業の顧問を務める。東京大学大学院修了。英国ケンブリッジ大学客員研究員、明治大学特任教授などを務めた。著書多数。最新刊『英国王室とエリザベス女王の100年』(君塚直隆氏との共著、宝島社)発売中。