2018年の平昌(ピョンチャン)冬季五輪スノーボード女子ハーフパイプに出場した大江光選手(富山市出身、バートン)。決勝進出を逃した試合の後、女手一つで育ててくれた母、幸恵さん(45)の腕の中で悔し涙を流す姿は、多くの人に感動を与えました。その後、現役続行を決め、今季も世界の舞台で戦っています。娘がアスリートとして活躍する日を夢見て、厳しくも温かく支え続けてきた幸恵さんに、話を聞きました。

―大江選手は奥田中2年の2010年、14歳でプロ資格を取得。11年に全日本選手権を制し、龍谷富山高1年の12年、冬季ユース五輪で金メダルを獲得しました。

全日本選手権での優勝は、やっと芽が出たと思えた瞬間でした。小中学校の9年間は本当に大変だったので、うれしかったですね。

―高校3年だった14年、ソチ五輪代表候補に挙がりながらも選考に漏れ、光さんは競技をやめることを考えたそうですね。どのように励まされたのでしょうか?

「やめたい」と聞き、私も一度は「光の人生だし、好きにしたらいいよ」と言いました。でもこれまでの日々を無駄にしたくないという思いも強くあり「これまでのことはお母さんのせいにしていいから、あと4年間頑張ろう。お母さんがもっと働いで稼ぐから」「乗り越えられる力がある人にしか、試練は与えられないんだよ」と励ましました。


遠征のため海外に行く直前、幸恵さん(左)が空港に届けてくれた手作りのおにぎりを手にうれしそうな表情を見せる光さん 

―その後のインタビューでは「お母さんを五輪に連れていくことが第一の目標」と光さんは、よく話しておられました。成人の日には、うれしいサプライズがあったそうですね。

成人式があった日は、海外で遠征中でした。たまたま光の部屋を掃除していたら、手作りのアルバムが出てきたんです。1ページ目に「20年ありがとう」の文字と、ハートに切り抜かれた私たちの写真が貼ってありました。次のページからは、これまでを振り返る写真が並んでいて「大きな舞台に母さんを連れていく。その舞台で光り輝いている姿を見せるよ」とメッセージが書いてありました。

成人式だからといって、親の私は何も用意していないばかりか、「成人式は出なくていい!」と言っていたんですが。ちょっと反省し、6月に帰国した時に、振袖を着せて写真を撮りに行きました。

―いよいよ迎えた平昌五輪。大舞台に立つ光さんを見てどう思いましたか。

アルバムを開きながら、子育てを振り返る幸恵さん


 光はここに立つために17年頑張ってきました。他の選手たちも同じでしょうし、そんな選手たちを応援しようと世界中から多くの人が集まっていて、光だけでなく全ての選手に頑張ってほしいと心から思えるすばらしい場所で、本当に感動しました。
 富山の方にたくさん応援していただいたのも、本当にうれしかったです。光は富山が好きで「富山から五輪に出たい」と富山の高校を選びました。だから五輪が決まった時は本当に喜んでいました。