2018年の平昌(ピョンチャン)冬季五輪スノーボード女子ハーフパイプに出場した大江光選手(富山市出身、バートン)。決勝進出を逃した試合の後、女手一つで育ててくれた母、幸恵さん(45)の腕の中で悔し涙を流す姿は、多くの人に感動を与えました。その後、現役続行を決め、今季も世界の舞台で戦っています。娘がアスリートとして活躍する日を夢見て、厳しくも温かく支え続けてきた幸恵さんに、話を聞きました。
―平昌五輪は、残念ながら決勝に進むことができませんでした。試合後、光さんとはどんな会話を?
試合後、周囲の人に促されて光を探しにいくと、ボードで顔を隠しながら泣いていました。声を掛けると「本当にごめん」と言われました。私は何で謝るんだろうと思い「頑張ったよ。会場も盛り上がってたよ」と声を掛けました。そして撮ってもらったのが、新聞でも紹介されたあの写真でした。
―五輪後、光さんは現役を続けるかどうか悩んでいたそうですね。
私は「自分で決めればいいよ」と伝えていました。ソチ五輪を逃してからの4年間、光は私を五輪に連れていくと頑張ってくれましたが、お互いとても大きなプレッシャーを抱えることになり、とてもきつい日々でした。次を目指すとなれば、けがの心配も増えますし、メダルを取りに行く覚悟もしなければいけない。だからこそ、私のためではなく、光が自分の人生のために、自分で進む道を決めてほしいと思っていました。
しばらくして光から「1年1年やっていこうと思う」という答えを聞きました。私は「いいんじゃない」と答えました。

五輪後、初めて帰郷し、支援者らに温かく迎えられる光さん
―遠征や大会で海外に出ることが多い光さんとは、毎日メールでやり取りしているそうですね。
光からは大会が終わったら必ずメールが来ます。うまくいかないと「ごめんね」から始まって、私は「謝らんでいいよ」「楽しくいこうよ」と返したり「いつもこんな気持ちを体験させてくれてありがとう。本当に感謝」「努力だけは誰にも負けていないはず。自信もって」と励ましたり。光には本当に、感謝の気持ちしかありません。
―今、光さんに願うことは?
笑っていてほしいということだけです。小さいころは、つらそうな顔や泣いた顔ばかり見ていたからかもしれません。
―子どもをアスリートにしたいと考える皆さんにアドバイスを。
小中学校の9年間はきつかったですが、たった9年間を死に物狂いでやれば、そこそこやれるようになることも分かりました。何かを極めさせたいのなら、この9年間はストイックに打ち込んではどうでしょうか。他にやりたいことは、大人になってから始めても遅くないと思います。光もあの9年間があるから、今があり、きっと普通の人ができない体験をし、すばらしい友達も得ることができました。また小さい時に、ひたすら基礎練習をしたことが、けがをしにくい体につながったようにも思います。
夢は見えると走りやすいですし、夢につながる道が見えれば、さらに走りやすくなります。夢に向かって何をしなければいけないかを考え、確実に1歩ずつ進んでいくことが大切なのだと思います。