
―中学校に入ると練習相手を探し、父娘で県外に遠征されたと聞きました。勉強との両立や進路のことなど、悩むことはなかったですか。
中学に入ると毎日練習があり、帰宅は午後9時過ぎ。勉強は学校から帰ってレスリングに行くまでの30分、集中してやっていました。ただ、後でお友達から聞いたのですが、学校の休み時間にも宿題をしていたそうです。連休があると全国大会で出会ったチームの監督に連絡を取って練習に行き、夏休みには1週間から10日ほど、吉田沙保里さんのお父さんが指導しておられる道場に預けたりしました。
―リオ五輪後のインタビューやバラエティー番組への出演などを見ていてると、受け答えが明快で、コミュニケーション能力の高さを感じます。もしかしたら、子どものころからの遠征経験が影響しているのでしょうか。
多分そうだと思います。レスリングを始めてから、県内外いろんな場に行くようになりました。もともと明るい子なので、チームに加わると、すぐにみんなと仲良くなっていました。普通の子どもなら、付き合う人の範囲といえば学校や地域ぐらいですが、絵莉はとても広かった。そんな中で礼儀やコミュニケーション能力を身に付けたのかもしれません。
―高校はレスリングの名門として知られる愛知県の至学館高校に進まれました。どのように進路を決めたのでしょうか。
進路は親が迷いました。絵莉は勉強もできる子で、県内でもトップクラスの高校を狙えるレベルでした。レスリングを続けたとしても、五輪に出られるくらいのレベルの選手になれなければ、就職にはつながりません。将来を考えれば、勉強して良い学校に行って…と親としては思いました。しかし絵莉の人生です。親子で話し合い「決めるのはおまや」と伝えると、絵莉は「勉強嫌いやしレスリングやるわ」と答えたんです。
かわいい末っ子、しかも女の子。本当は手放したくなかった。至学館高校の練習の厳しさ、帰省できるのは盆と暮れにほんの少しということも知っていました。苦労が目に見えていました。中学校の卒業式を終え、高校の寮に送っていった時には、車に戻って妻と二人で泣きました。
信じる気持ち 子どもの力に
―高校3年生の夏、レスリングをやめようと考えた時期があると聞きました。2、3年生の全国高校女子選手権で優勝したものの、同年代や後輩は全日本選手権で優勝するかどうかのレベル。自身は先輩の練習相手や付き人という感じで、レベルの違いを感じていたことが理由と以前、T’Sceneのインタビューに答えておられました。
芯の強い子で、それまでやめると言ったことは一度もありませんでした。担任教諭を通じて絵莉が迷っていると聞いた時には、本当に驚きました。と同時に、私としては今からだと思っていたので、なぜ迷うのかと思いました。ただ親が決めることではないので、どうしようか考えて、普段しないメールを送りました。
「進路は自分の好きなようにしなさい。
でもお父さんはお前の1番を願っている。
けがに気を付けて、誰よりも練習しなさい」と。
今から思えば、好きなようにしろと言いつつ矛盾していますよね。
―このメールをきっかけに、絵莉さんはレスリングを続けることを決め、至学館大学に進学し、そして世界選手権3連覇を成し遂げました。
わたしはしばらくメールの内容なんて忘れていたんですが、ある時テレビのインタビューを見ていると、絵莉がこの時のことを話し、しかもそのメールを大切に保存していたんです。そして「こんな弱い自分が1番を取れると信じてくれていると知り、続けようと決めた」と話していました。
