―登坂選手がレスリングを始めたのは小学校3年生の時。レスリングで国体優勝経験もある父、修さんの影響と聞きました。

そのころ絵莉は、お友達に誘われて英会話と音楽教室に通っていました。レスリングは息子にやらせようと思って、練習を見に行ったのですが、その時にたまたま絵莉が暇だからと付いてきたんです。そして息子は「やだ」と言い、絵莉が「私やりたい」と言ったんです。当時、女子でレスリングをする人は少なく、自分がやっていたので痛いしつらいスポーツだということは100も承知。かわいい自分の娘には、できればやらせたくなかった。ただ本人がやりたいというのなら、やらせよう、でもすぐにやめるかなという感じで、週2回の練習に通い始めました。

―意外なスタートですね。その後、「娘を強くしたい」と指導にスイッチが入る、何かきっかけはあったのでしょうか。

小学3年の春からクラブに通い始め、夏休みに全国大会がありました。女子は少ないので無条件で出場できたので、本人に「どうする?」と聞くと「出たい」というので出場しました。ただ始めたばかり。もちろん1回戦で負けました。絵莉に勝った子は3位入賞したのですが、表彰台に立つその子を見て大泣きしたんです。「自分もメダルがほしい。表彰台に立ちたい」と。その思いを知った時に自分の中でスイッチが入り、二人で日本一を取ろうと決めました。

―とはいえ、まだ小学3年生の女の子。激しい取っ組み合いの練習にやっぱりレスリングをやめたいと言うことはなかったですか?

練習で、絵莉は絶対に手を抜きませんでした。男の子を相手に取っ組み合い、やられてもやられても向かっていくんです。レスリングを指導するようになったのは、何が何でも勝ちたいという絵莉の熱い思いに、自分が負けたからなんだと思います。振り返ると絵莉は補助輪なしの自転車に3歳で乗れるようになったのですが、この時も転んでも転んでも立ち上がり、親が支えようとすると「離して」と言って一人で練習していました。一輪車も同じでした。一方で小学校4~6年にはソフトテニスもやっていたんですが、この試合では負けても悔しがることはなく笑っていました。本当に好きなことだから、熱く取り組めるのだと思います。

まず目標を決める あとはやるだけ

―小学校5年生で念願の全国大会優勝を果たしました。その時の思いは。

小学5年生で取った初めての金メダル(下)

本当に努力してきたので、ここまで来たんだとうれしかったです。その後も毎年の全国大会での優勝を目標に、練習を続けました。日本一は娘が自分で決めた目標なので、絵莉は練習がつらいと言ったことはありません。日本一になると決断するには勇気がいるし、ちゅうちょもします。ただ決めてしまえば、あとはやるべきことをするだけです。

そのスタイルは今も変わっていません。リオ五輪でも絵莉は「全力を出し切ります」というようなあいまいな言葉ではなく「金メダルを取って帰ってきます」と言っていました。1番を目指すなら、まず「1番になる」と決めることが大切なのではないでしょうか。