潮風に混じって、どこか静けさの色を帯びた冷気が肌を刺した。太平洋沿いの仙台市若林区荒浜地区に立つと、広い空と平らな大地の先に、かつて町が存在した気配だけが残る。11月下旬、震災遺構となった荒浜小学校の校舎が、周囲の景色の中にぽつりとたたずんでいた。東日本大震災から来年で15年。節目を前に、その記憶を伝える場所を訪れた。(本田健司)
荒浜地区は仙台市中心部から東に約15キロ。海岸から700メートルの位置に鉄筋コンクリート4階建ての荒浜小学校がある。遠目にはさほど特別な建物に見えない。だが近づくにつれ、校舎が津波に襲われたままの姿で保存されていることが分かる。2階まで押し寄せた高さ4・6メートルの津波はベランダの壁と鉄柵を倒壊させ、がれきが激突した跡が3階外壁に現在も残る。

遠くに見える荒浜小学校=仙台市若林区荒浜

荒浜小学校は震災遺構となっている

1階の扉や窓に津波の痕跡があった

校舎に近づくと2階にも津波の痕跡がはっきり残っているのが分かった
天井まで津波の跡が
校舎に足を踏み入れると、一段と現実味が増す。1階の保健室や教室は天井まで浸水し大破しており、床には津波で運ばれたがれきの痕跡が残されたままだ。校舎には当時の校長が撮影した写真を展示。押し流された乗用車が校舎内で折り重なっている様子が写り、津波が町をのみ込む瞬間の凄まじさを伝えている。

津波の被害を伝える1階の「保健室」

1階にある「1年1組教室」

1階天井も津波で壊されていた

校舎内に流れ込んだ車の写真
2階に進むと、床上40センチほどの高さまで津波が到達したことを示す「水位ライン」が掲げられていた。
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