先駆者として
越境文学では一般的に、言語や制度、差別の中でアイデンティティーを揺さぶられた当事者の経験が作品の核となる。昨年の芥川賞候補となったグレゴリー・ケズナジャットに加え、多和田葉子、リービ英雄といった現代の越境作家たちは、「アメリカと日本」「日本とドイツ」といった二つの文化の狭間で、母語の外に出ることの葛藤やアイデンティティーの揺れを作品の核に据えてきた。

ケズナジャットが「三田文學」に昨年発表した短編「汽水」では、日本に来た外国人が否応なく出身国の代表者とみなされる切なさが描かれており、ハーンの足跡をたどる場面もある。現代の越境作家にとって、ハーンは先駆者の一人として今も意識されていた。
無数の故郷
その上で、鈴木准教授は「八雲の越境性は複雑で独自なものである」と指摘する。ハーンは軸足となる故郷が一つではない。ギリシャのレフカダ島に生まれ、植民地アイルランドで少年時代を過ごし、米オハイオ州のシンシナティ、ニューオーリンズ、カリブ海のマルティニークと、文化が混じり合う周縁の土地を転々とした。
「二つの狭間ではなく、たくさんの点がある。だからこそ二項対立的な思考にならない。それが最大の特徴でしょうね」
怪談はクレオール料理
作家性の象徴として挙げられるのが、八雲がニューオーリンズ時代に編んだ「クレオール料理読本」である。フランス、スペイン、カリブからの移民たちの調理法を寄せ集め、普通なら捨てられるような食材を巧みに一皿に仕立てる。代表作「怪談」も同じスタイルが用いられているという。「近代化の中で見捨てられていた日本の幽霊話や口承文芸という断片を拾い上げ、独自の味付けで鮮やかに蘇らせた。材料は日本のものだが、調理法はクレオール的だ。日本でもアイルランドでもギリシャでもない料理のような文学です」

国よりも個人の声を
八雲自身は日本語で書かなかった。だから日本文学への影響は直接的というより、非現実的な存在に文学的価値を見いだす眼差しを広く共有したことだったと言える。八雲は東京帝国大学文科大学で英文学を講じた際も、後に官僚や国の指導者となるようなエリートの学生たちに向かって、「幽霊や言い伝えにこそ価値がある」と説いたという。
八雲は近代化には反発しつつ、見捨てられた口承文芸を拾うことには乗り気だった。近代日本の方向性には異を唱えながら、日本人自身が捨てようとしているものにこそ価値を見いだした。日本への親しみと距離感が同居する八雲ならではの講義だったのだ。その姿勢は、芥川龍之介ら後の日本を代表する作家が怪談的なモチーフを文学の主題として再発見していく契機にもなった。
その八雲の怪談がどう生まれたかを知ると、彼の思想がさらにくっきりとする。八雲は妻セツに怪談を語らせる際、「あなたの言葉で、あなたの考えで話してください」と強く求めた。文学的な訓練を受けていない当時の人には困難なやり取りだったろう。セツが「狂いそうになった」と回想録に記すほどだった。国や民族の物語ではなく、個人の声を聞こうとするのが八雲だった。

何も代表しないという選択
八雲は、アイルランド人としても、ギリシャ人としても、日本人としても振る舞わない。何かを代表することを避けた。徹底して個人の声を大切にした。代表しないがゆえに、戦時中は日本賛美に政治利用され、現在も日本を過剰に礼賛する「日本スゴい」の空気の中で都合のよい存在になりつつもある。
