——能登との出合いについて教えてください。
輪島へ最初に行ったのが20年ほど前です。漆の勉強をしに行ったり、工芸を見に行ったり。その頃から特別な場所でしたね。僕は金継ぎをやっているのですが、漆は不可欠な材料。だから輪島で本格的に漆を学びたいと思ったんです。でも最初は簡単ではなかったですよ。「東京の人は絶対できないから」って、にべもなく断られたりね。
「輪島の漆の木を育てたい」と話しても全然相手にしてもらえない。能登の方に心を開いてもらったのは最近ですよ。今では漆の採り方も教えてもらえるようになりました。信頼してもらえると一気に親しくなれる。能登の人って、そういうところがありますね。警戒心は強いけれど、一度心を開いてくれると温かい。

3年ほど前から本格的に拠点を持ちたくて、空き家を探していたんです。そこで作業をしながら漆を育てたいと思っていました。地元の人たちも好意的でありがたかった。輪島に築100年の空き家を買って、これから改修しようという段階で地震が来てしまいました。
——能登半島地震の知らせを聞いたときはどういう心境でしたか?
僕は東京にいたんですけど、家は絶対に壊れないと思っていたんです。地震が多い能登で、これまで100年間もビクともしなかったんだから。でも、1週間くらいして見に行ったらびっくりしましたね。壁も柱もバキバキになって、地面が隆起していた。雪の中で呆然としていました。

母屋は公費解体の対象になりました。幸い、横の小屋は無事だった。それを今リノベーションしています。富山の方にも手伝ってもらいながら、ドアを直してもらったり、窓をつけたり。小さいですが、茶室と図書室、アトリエを作りました。母屋を解体したあとは、そこに漆を植樹する予定です。実はね、漆を植えて歓迎してくれる場所は少ないんですよ。かぶれちゃうからって。でも、能登は伝統があるから理解してくれます。
——震災後すぐに、壊れた器の修復ボランティアを始めましたね。

金継ぎは割れたり、欠けたりしてしまった陶磁器を、漆で接着して継ぎ目を金や銀で彩るという技法です。修復した器の継ぎ目は独特の模様のように見えます。壊れる前とは異なる新しい魅力が宿ります。
修復のボランティアは東日本大震災や熊本地震のときもやりました。今回は自分も被災しているわけだから特別な思いでしたね。これまでに100点ほどの器を修復し、持ち主に返却しました。
依頼された器は、お正月ということもあって特別なものが多かったですね。この日しか出さない作家ものの花瓶とかね。その一方で数百円もしないような器もあります。値段ではない価値があるんでしょうね。
あと震度も大きかったからか、細かくバラバラになっている器が多かった。震度5くらいだとパカッと割れる程度ですが、今回は完全に砕けていてパーツが足りないものが目につきましたね。
富山や金沢の方からも大切にしていたであろう器の修復依頼をたくさん受けました。正直、能登の方は器どころじゃないという空気も感じました。それもまた重い現実なんでしょうね。