失われる直前だった牛首紬の伝統を復活させるために必要だったのは、長期的な努力を続ける覚悟だったという話を前編でお届けしました。ではそれを未来に向かって発展させるには、何が求められるのでしょうか? 白山工房の西山博之さんのお話を続けます。
まずは変化を受け入れる勇気が必要でした。牛首紬が直面した存続の危機の背景には、日本人のライフスタイルの変化がありました。きもの文化が生活から失われる方向は後戻りしない。そのなかで、牛首紬はどうやって生き残っていくのか?
西山さんが出した答えが、一歩、外へ踏み出す挑戦でした。勇気をふり絞り、国境を越えて牛首紬をアピールすることに挑みます。門戸をたたき続けた結果、2011年、世界的なテキスタイル展示会「プルミエールビジョン」の特別コーナー「メゾン・デクセプション」に選ばれました。世界でも権威のある展示会のこの特別コーナーは、ファストファッションが台頭する時代にあって、職人技術を誇る素材に新たな光を当てることを目的としていました。牛首紬は日本を代表する素材として、結城紬や藤布(遊絲舎)とともに選出されたのです。

西洋のバイヤーたちは、牛首紬の緻密な織りや柔らかな光沢に驚嘆しました。しかし、価格で折り合いをつけることは困難でした。高価な伝統素材を扱えるメゾンは限られ、苦労して進出した海外市場は、西山さんには厳しい荒野のように感じられ始めます。

撤退も考え始めた2016年、一筋の光がさします。寺西俊輔さんと出会うのです。寺西さんはヨーロッパで10年以上デザイナーとして仕事をしており、当時はフランス最高のメゾン、エルメスで働いていました。メゾン・デクセプションを訪れた彼は、牛首紬はじめ日本の伝統的織物の美しさに感動し、伝統工芸の可能性に賭けることを決意します。エルメスを辞して独立し、その後、「職人の技術が主役のラグジュアリー」を掲げるMIZENを創設することになるのです。きもの地と洋服の素材を組み合わせ、高度な技術で全く新しい服に作り上げるプロジェクトです。
寺西さんは、職人に無理のない形で発注するばかりでなく、産地を訪れて職人と対話を重ね、製品を共に創り上げる姿勢をとりました。意見を交わし合うプロセスのなかで、職人たちの技術と情熱は高い次元へ押し上げられていきます。
寺西さんとの協働は、ビジネスの成功のみにとどまらず、西山さんに忘れかけていた「ワクワク感」を取り戻させました。ヨーロッパに出展し続けた苦しい5年間は、寺西さんに出会うためだった、とまで語ります。「最初の一歩を踏み出す挑戦をしたことが、運命の出逢いにつながった」のです。
西山さんと寺西さんとの協働は、これまで互いに異世界だとみなしていた呉服と洋服の世界の溝を取り払う突破口にもなっています。呉服も洋服も人間がまとう服です。両者が互いの背景を思いやりながら現代生活に合った魅力的な製品を創り上げることで、ビジネスも、伝統文化も、豊かになっていく。その成功事例を創ろうと奮闘するプロセスそのものを楽しんでいる西山さんの姿には、未来への光明が見えます。
