伝統工芸をどのように継承するかという議論が各地で盛んです。一度、絶えかけた伝統を復活させるのは容易なことではないのですが、見事に成功させた例もあります。石川県白山市周辺で作られる絹織物、牛首紬です。伝統工芸は代々、受け継ぐ「家」が担うという思い込みがありましたが、牛首紬を救ったのは、建築業から参入した一家でした。白山工房で牛首紬を製作し、世界にもその魅力を発信する西山博之さんに話を伺いました。

 そもそも牛首紬は、約800年前、山間部で農業の副業として始まりました。「牛首」という名は、蚕が育つ桑畑のある地名に由来します。かつてはB級とされた玉繭(一つの繭に二頭の蚕)から生まれる二本の糸を撚り合わせて作る糸を使用しており、凹凸のある風合いと高い耐久性が特徴で、カジュアルな着物として着用されてきました。

 西山博之さんの祖父、西山鉄之助さんは養蚕業を営んでいました。しかし戦後、日本の衣料事情の変化に伴い、養蚕業は衰退します。鉄之助さんも代用教員として生活を支える道を選びました。牛首紬を製作していた最後の一社、水上機業場も廃業します。水上さんは鉄之助さんの親友でしたが経済的に援助したくともかなわぬまま。鉄之助さんの10人の子どもたちは需要の大きい建築業を営みます。

 戦後の復興のなかで建築業は安定収入をもたらし、昭和40年代になると、鉄之助さんには伝統産業を復興させたいという思いが湧き上がります。村では牛首紬を織るのはおばあちゃん一人になっており、この機を逃すと伝統が途絶えるという危機感を抱いた鉄之助さんは、建築業を営む子供たちに命じるのです。「牛首紬を復興させよ」と。

 建築で得た利益を湯水のように牛首紬に注ぎ込んだ結果、技術は伝承され、製品を作り続けることはできました。しかし、一度閉じてしまった販路を再び開くことは容易ではなく、売ることが難しい状況が続きます。それでも西山家は諦めず努力を続け、昭和50年代、ようやく牛首紬は市場での存在感を取り戻すのです。

 

 牛首紬が広く知られる決定打となったのは、直木賞作家・高橋治氏の小説『風の盆恋歌』でした。主人公が牛首紬を買い求める場面が描かれ、テレビドラマ化され、一気に知名度が上がります。また、加賀友禅とのコラボレーションも追い風となりました。カジュアルな紬とフォーマルな友禅という異なるジャンルの融合は異例でしたが、着付け教室の指導者が「セミフォーマルとして通用する」と太鼓判を押したことで認知が広がり、紬の世界に革新をもたらしました。

 こうして、牛首紬は大島紬、結城紬と並び、日本の「三大紬」としての地位を確立したのです。

白山工房で牛首紬を製作し、世界にその魅力を発信する西山博之さん

 この復興のストーリーから伝わるのは、伝統を守り抜くと決意した人たちの長期にわたる強い覚悟です。「伝統工芸は日本、そして地域のアイデンティティのよりどころであり、誇らしいステイタスでもある」と博之さんは語ります。その価値を信じて長期的視野をもって腹をくくり、投資と努力を続けた家族の決意こそ、千年の伝統を未来へ繋ぐ原動力となったのです。(後編に続く)

中野香織/なかの・かおり 富山市出身。服飾史家として研究・講演・執筆を行うほか企業の顧問を務める。東京大学大学院修了。英国ケンブリッジ大学客員研究員、明治大学特任教授などを務めた。著書多数。ジェニー・リスター著、中野香織監修『新装版  時代を変えたミニの女王  マリー・クワント』(グラフィック社)発売。