『君が手にするはずだった黄金について』は、著者本人を思わせる主人公・小川が、少し変わった人々に出会いながら現代社会についてつらつらと考えていく。エッセイとも錯覚するほどナチュラルな語り口で書かれた、連作短編集です。

全編で共通するのは、どこかで欲望の抑制のきいてない人々が、一線を超えると、その後どのように人生が破綻するかを冷静に分析している点です。たとえば表題作「君が手にするはずだった黄金について」では、投資詐欺に身を投じ、多くの人に嘘を見抜かれ、身を滅ぼす友人の姿が、ありありと描かれます。お金欲しさに犯罪に手を染めたというよりも、承認欲求などさまざまな欲望に我慢ができなくなったことが主な原因であるように感じられます。現代特有の病に取りつかれた者の悲哀を浮き彫りにし、心に残る短編です。
個人的に思い入れがあるのは、インチキ占い師のインチキを見破るために、あえてだまされたふりをして正体を探る「小説家の鏡」です。インチキの部分は一見してどこかわからないようにカモフラージュされているため、占い師とやりとりを重ねていっても、特にこれといってはっきりと詐欺だとわかる部分はありません。最後の最後の急展開があるまでは、なにが問題なのか明確にはわからないあたり、いつどこで誰にだまされるのかわかったものではない、と背筋が凍りました。
誰しもに欲望はあるものですが、多くの人々は、適切な一線をひいて我慢をすることで、正気を保ち、適切な人生を送っています。ではいったい、どの線が適切な一線なのか。無数の線が錯綜する今、それを見破ることは困難を極めます。ふとした拍子にそれを通り過ぎてしまうまえに、この小説のように、投資詐欺なんてしないような、適切な友人に、人生を相談したいものです。