9月中旬、石川県輪島市に伺いました。漆器販売会社「千舟堂」の岡垣祐吾社長にご案内いただき、漆器職人の方々の取材をさせていただきました。

 

 輪島塗は、専門職人たちによる分業制で作られます。木地作り、下地塗り、中塗り、上塗り、そして仕上げの加飾まで、それぞれの工程を専門職人が担当します。すべてをオーケストラの指揮者のように統括するのが、塗師屋と呼ばれる親方衆。岡垣さんもまさに塗師屋の一人で、デザインの企画を考え、注文を受け、職人から職人へと仕事を橋渡しし、市場を開拓して販売するという総合プロデューサーの役割を果たしています。

 どの工程が欠けても輪島塗は完成しないのですが、300あった漆工房の半数以上が今年1月に起きた地震で破壊され、多くの職人が家や仕事を失いました。苦境のなか、岡垣さんや職人たちは、仕事と生活の建て直しに奮闘していました。下地職人の七浦孝志さんも家と工房を失った一人でした。新たにプレハブで工房を建て、再出発をしたばかりというタイミングで話を伺いました。

 輪島塗は表面の蒔絵が目を引くので、蒔絵ばかりがもてはやされますが、実は下地塗りも重要です。「下地がガタガタだと、最後の加飾もきれいにならない。木地を作る人、下地、上塗り、みんながきちっとしていくことで、はじめていいものができる」と七浦さんは語ります。参考までに、製品を見極めるためには、「四隅をチェック」するのがポイントとのこと。「重箱の隅をつつく」のは、塗りの巧拙を見るために大事なことだったのです。

下地塗りの七浦さん

 下地塗り40年以上というキャリアをもつ七浦さんは伝統工芸士ですが、「輪島には伝統工芸士が90人もいる。よその土地だと偉い先生扱いされるけど、輪島だとあっちこっちにいるから誰も自慢しないよ」と謙虚に笑います。

 その後、加飾の工程である沈金を担う職人、高出英次さんの工房も訪れました。沈金の仕事に入ったのは19歳のとき。「親父に、お前は沈金でもやれ、と無理やり親方のところへ連れていかれ」てから、76歳の現在までこの道一筋です。

 上塗りされた漆器の表面を丸ノミで彫っていき、彫られた場所に金粉をつけ、金箔を入れ込んで仕上げるまでが高出さんの仕事。適度な深さに彫り込まれた模様にピタリと金箔が入った瞬間、輪島塗が華やぎ、風格を放ちます。「箔がつく」とはこのことでしょうか。ちなみに、最も嬉しいのは、「作品が売れたとき」と高出さんは笑います。

沈金の高出さん

 取材の1週間後、豪雨が輪島を襲いました。職人さんたちがようやく立ち直ろうとした矢先でした。建てて間もない七浦さんのプレハブ工房も床上浸水の被害に遭いました。

 無力感と絶望の淵から、岡垣さんは、再度、立ち上がっています。ニューヨーク市のアートギャラリー、大西ギャラリーの支援を受け、同市で輪島塗の展覧会を10月25日まで開催します。職人の仕事を守る責務を負い、支援の手をさしのべる世界の人々との交流のなかで伝統継承のための行動を続ける岡垣さん、苦境にあってもやさしさと笑みを忘れない職人さんたちの姿を思いながら、日々の生活に輪島塗を取り入れていきます。

中野香織/なかの・かおり 富山市出身。服飾史家として研究・講演・執筆を行うほか企業の顧問を務める。東京大学大学院修了。英国ケンブリッジ大学客員研究員、明治大学特任教授などを務めた。著書多数。ジェニー・リスター著、中野香織監修『新装版  時代を変えたミニの女王  マリー・クワント』(グラフィック社)発売。