今年のプラチナエイジ賞スポーツ・健康部門を受賞したのは、海洋冒険家の堀江謙一さんでした。単独太平洋横断はじめ数々の海洋冒険の世界記録を誇る方です。受賞スピーチではヨットで大阪港を出発し、大阪港に帰還した単独無寄港世界一周の旅に触れ、「結局、大阪にしか寄ってないんだから行かんでもよかったんとちゃう?」と友人にからかわれたエピソードを披露、会場の爆笑を誘いました。
さて。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』に「懶惰の説」という章があります。西洋化が急速に進むなか、古い日本の生活様式も残る1930年代に書かれたものです。強い意志で努力し、目的を持って積極的合理的に活動する西洋的なあり方に対し、ものぐさな(=懶惰な)日本の美徳もいいよと示す、谷崎のお茶目な一面がうかがわれるエッセイです。
たとえば朝から濃厚で刺戟的な食事をとり、盛大にスポーツをして体力を養うのが西洋的な養生法であるとすれば、対する日本の摂生法は、淡泊で質素な食事をとり、一日中べったりと動かないご隠居さんのような生活。食べるものを減らせば伝染病のリスクも減り、多くの場合、活動的な男子よりも長寿を保つ、と谷崎は書きます。結局、人間が最後に行きつくところは同じですからね。大阪から出発して大阪に帰還した堀江さんを迎えた友人風に言えば「おんなじところに行くんならがんばらんでもええんとちゃう?」というところでしょうか。
「同じところへ向かう」過程をどのように過ごすのがよいのかという考え方の違いが、西洋と日本の文化の違いも生んでいます。谷崎は例として、声楽と地唄の違いを挙げます。声楽では老化にあらがい、節制して声量の保存に努めます。一方、地唄の世界では大きな声で明瞭に発音してうたうことを下品とみなします。声量が減り、声がしわがれることを自然の理として受容するうたい方をむしろ上品とみなすわけですね。自然の推移に逆らわないさまに価値を置く日本の美意識は、枯れて寂びていく過程に味わいを見る「わび・さび」の文化も生んでいます。この美学を、ファッションを通して世界に知らしめたデザイナーこそ、穴あきドレスを創った川久保玲や山本耀司でした。

時の流れに身を委ね、消極的な生活を送ることの美徳を説く文豪は、決して「怠け者のすすめ」としてこれを書いたわけではないところがポイントです。むしろ彼はかなりの勉強家で旺盛な仕事ぶりで知られます。「精力家とか勤勉家とか云われることを鼻にかけ、或はそれを自分の方から押し売りする人が多い世の中だから、たまには懶惰の美徳——奥床しさを想起しても害にはなるまいと思うのである」と結びの部分で書いています。
グローバリズムの権威でコーティングされた西洋型「ラグジュアリー」に抵抗する理由もまさにここにあります。その魅力を否定するわけではないけれど、そうではない別のかっこよさもあるよ、と代替のあり方を示すこと。大勢が賛同する価値観の押しつけに対し、逃げ道を示すこと。これを示す「羅針盤」になることは、まあ「害にはなるまい」と思うのです。多少のブレがあることもまた自然の理ということで。