「推し」という言葉が一般化した。応援している芸能人などのことだ。好きなものを応援する活動を「推し活」と呼び、こちらは流行語大賞候補となっている。拙著『推す力』(集英社新書)では「推す」ことのメカニズムを明らかにした。その上で、私自身の体験を通して日本のアイドルの歴史をたどる。副題は〈人生をかけたアイドル論〉である。

 そう、「推し」はアイドルの世界から発生した言葉なのだ。「推しメンバー」の略である。なるほど、これはグループアイドルを前提として、ひいきにしているメンバーのことだった。

 日本のアイドル第一号は、南沙織だと言われている。1971年、『17才』でデビューした。2年後の73年に登場したキャンディーズこそが最初期のアイドルグループであろう。ラン、スー、ミキの三人組。ランちゃんこと伊藤蘭が昨年のNHK紅白歌合戦で歌って話題を呼んだ。なんと46年ぶりの紅白出場である。46年前、彼女が「普通の女の子に戻りたい!」と叫んでキャンディーズは解散したのだ。

 当時、私は10代半ばだった。クラスの男子はランちゃん派、スーちゃん派、ミキちゃん派に分かれていた。「推し」という言葉はまだなかったが、すでにその概念は存在したのである。5曲目の『年下の男の子』が大ヒット!  センターがスーちゃんからランちゃんへと変わった。私もランちゃん派へと「推し変」したのである。

 メンバーカラーというのもキャンディーズが最初だったろう。ランは赤、スーは青、ミキは黄……ファンはそれぞれの色の服を着たり、ボードを掲げたりして応援した。

 2011年、スーちゃんが亡くなり、その葬儀でのこと。霊柩車が出発すると、突如、キャンディーズのデビュー曲『あなたに夢中』が流れた。見送る群衆から一斉に「スーちゃーーん‼︎」とコールがかかり、彼女のメンバーカラーである青い紙テープが何本も投げられた場面では、ウルッときた。

 近年では、ももいろクローバーZのメンバーカラーの衣装が話題を呼んでいる。いわゆる戦隊モノのキャラのようであり、その原点は『秘密戦隊ゴレンジャー』ではないかというのだ。そう、モモレンジャーが女子隊員だったやつ。アイドルのメンバーカラーはこれを真似(まね)して始まったと言う者もいる。

 いや、しかし、『秘密戦隊ゴレンジャー』の放送開始は1975年4月であり、キャンディーズが色分けを導入した『年下の男の子』のリリースは同年2月なのですよ!  やはりアイドルのほうが早い。

 今では男性アイドルにも「推し色」があって、メンバーのイメージカラーのチョコをバレンタインデーに贈る、「推しチョコ」が存在するという。不思議なもので、ファンは「推し」のカラーに敏感になるものだ。私も青のスーちゃんから赤のランちゃんに「推し変」して、信号機の赤の時に渡ってしまいそうになったことがある!?

 これは、まずい。思わずミキちゃんの「推し色」、黄色が浮かんで「注意、注意!」と自分に言いきかせたものだ。

 皆さん、くれぐれも「推し」過ぎに注意しましょう!

撮影/露木聡子
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中森 明夫さん
作家/アイドル評論家。三重県生まれ。さまざまなメディアに執筆、出演。「おたく」という語の生みの親。『アイドルにっぽん』『東京トンガリキッズ』『午前32時の能年玲奈』『寂しさの力』『アイドルになりたい!』『青い秋』『TRY48』など著書多数。小説『アナーキー・イン・ザ・JP』が三島由紀夫賞候補となる。