富山県民の知らぬ間に全国のマニアを魅了する店となった「魚津水族館 真珠コーナー」(魚津市三ケ)。原石や化石、昭和・平成レトロなタオルや消しゴム、果ては店名の入ったシールまで来店客のお目当てはさまざまだ。好きな人にとってはたまらない「沼」にあふれた店内の一端を紹介する。

石好きには外せない店

 取材に訪れた9月上旬、店内には石を目当てに訪れたらしい男性客が熱心に品定めしていた。アメジスト、フローライト、ハックマン…。店内には、原石が所狭しと並ぶ。

アメジストなどの原石が並ぶ店の一角

 店を営む渡辺良太郎さん(50)は「朝日町や新潟県にヒスイを拾いに来た帰りには必ず寄るという人が多いですね」と話す。石好きの人にとって、ここは外せない・たまらない店だという訳だ。

 渡辺さんの仕入れのポリシーは「きれいなら何でも」となかなか豪快。「偽物をつかまされても、それもまた勉強」と語る。「自分がハマっているわけじゃないので詳しくありません。むしろお客さんに教えてもらってます」

値段はあってないようなもの

 値段は、販売当時のものがそのまま付いているものもあれば、何も付いていないものも多い。良太郎さんは「値段はあってないようなもの」と言う。例えば、石の価値は文献によって異なり、人によっても異なる。

化石は男性に人気があるそう

 良太郎さんは「頼まれても売れないという物もあるけど、売るんだったら熱のある人に買ってもらいたいという気持ちはあります」と語る。商品に対する愛情は人一倍だ。

レトロかわいいフロッキー(起毛加工)のマスコット

渡辺さん一家、その人柄は…

 なんでもありそうな東京や関東圏の人たちが「ここにしかない物がある」と訪れる真珠コーナー。初代、光邦(みつくに)さんと2代目、哲(てつ)さんはもうこの世にいない。在りし日の2人を知ろうと、長く魚津水族館に務めた先代魚津水族館長の稲村修さんに思い出を聞いた。

真珠コーナーの店名の由来となったアクセサリーのコーナー

 稲村さんは「真珠コーナーはいわば渡辺家の博物館兼売店やね」と語る。「昔を知っている人は過去を探すし、若い人は宝物を探す-そんな店ですね」。前編でも紹介した通り、真珠コーナーは魚津水族館の名前を冠しているが、水族館の公式売店ではない。そんなところも時代を感じさせる。

 光邦(みつくに)さんは2代目魚津水族館3階に真珠コーナーを開店。間もなく息子の哲(てつ)さんに店を任せ、自身は新潟市水族館(現マリンピア日本海)に別の店を開いた。新潟の店は真珠コーナーと同じく品数が多く、その後、光邦さんから良太郎に引き継がれた。水族館のリニューアルに伴い2012年に閉店し、今はもうない。

新潟の水族館にあった売店。品数の多さはさすが

楽しまないと

 初代の光邦さんについて、稲村さんは「ぼくが覚えているのはカメラが好きで物知りな方。小柄で白髪、上品な人だったなぁ」と話す。良太郎さんにとっては「個性の固まり」で「自由人」だったそうだ。

 一方、魚津水族館の真珠コーナーを長く経営していた2代目、哲さんは「遊びに集中できないやつは仕事も集中できない」とよく良太郎さんに話していたそう。良太郎さんは「勉強してたら怒られました」と懐かしむ。「父は子どもながらに怖くなるくらい、良い物があれば金に糸目を付けないところがありました」

3代目魚津水族館オープン当初のレストハウス。1階のごく一部に「真珠コーナー」があった=1982年

 哲さんが世界を飛び回って仕入れた品々は、今も店内に一種のあやしさを添えている。中華系のお面やヤシの身のお面などなど。良太郎さんも、哲さんと同じく「もうけようと思ったらやっていけない。楽しまないと」というモットーを掲げ、商品を仕入れている。最近は恐竜スピノサウルスの歯の化石を仕入れた。

良太郎さんが最近仕入れた恐竜スピノサウルスの歯の化石。夏休みに子どもたちに見せようと買った。おっきい!

客が客を呼ぶ

 店内を歩くと、子どもの頃、観光地で見かけたレトロな品々が目に付いた。良太郎さんは「売れなかったら20年寝かせばいい。そしたら、

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