
一歩踏みだす。
それが一番しんどい。
転ぶかもしれない。方向違いなのかもしれない。
他の人の視線が気になる。足がすくむ。
やっぱり、どうかしている。
でも、みんな最初は誰でもなかった。
社会を動かすあの人も、世界で拍手を浴びるあの人も。
ただ不確かなものを信じた。
転んだら起き上がる。間違っていたらやり直す。
意地悪なやつなんて視界から消す。
窓を開ける。冷たい水を一気に飲み干す。
スニーカーの紐をきつく結ぶ。
それだけで、もう一歩踏み出している。
北日本新聞、「希望スイッチ」押します。3、2、1
◎富山の若者意識アンケートはこちら。
https://viewer.webun.jp/books/viewer/app/P000005411/2023/02/22
自分の何もかも
が武器になる
振付師/アーティスト
RIEHATA(リエハタ)
BTSにクリス・ブラウン、レディー・ガガ、King&Prince……。国境を越えて、振り付けや共演の依頼が相次ぐダンサー、RIEHATAさん(32)。どんなに条件が悪くても、逆境が訪れても前向きに乗り越えてきた。パワフルなダンスは多くの人に元気を与える。そのダンスの源泉にある思いを聞いた。(聞き手/田尻秀幸 撮影/鳥飼祥恵)

―RIEHATAさんは富山の隣の新潟県糸魚川市出身。何か思い出はありますか?
お母さんの友達が富山にいた縁で、年に1回は温泉旅行に行っていました。私の家は超貧乏。遠出する機会なんて滅多にありません。だから、そのドライブが最高のご褒美でした。車の中は爆音で音楽鳴らして、ワクワクで富山に行きましたよ。
―世界的な人気を誇るBTSの振り付けをいくつも手掛けています。思い入れのある曲は?
初めて担当した『MIC Drop』は、彼らがアメリカでブレイクするきっかけになった曲。私の中でもインパクトがあります。最初にオファーをいただいた時は「BTSって誰?」っていう認識でした。まずは名前を覚えるところから始めました(笑)。知れば知るほど、一人一人の個性と、それぞれの魅力が分かる。7人グループとしての活動を控える直前という集大成的なライブでは、冒頭から私が担当した曲が続いて胸が熱くなりました。メンバーと会う機会もありましたが、トップにいる人は本当に優しい。そしてピュア。アイドルって、「ファンの人を喜ばせたい」って言うでしょう。あれは言葉だけじゃない。トップにいる人たちは本気。命を削ってエンターテインメントをやっている。私も彼らからたくさん学びました。
―RIEHATAさんのダンス人生はどのように始まりましたか?

モーニング娘。の振り付けをまねするところからです。有名な曲は全部完コピしていました。小学生の頃は田舎にいて周りには何もなかったから、テレビの中がキラキラして見えた。フォーメーションも紙に書いて全部覚え、小学校の友達を巻き添えにして完全に再現していました。それが今の仕事にもつながっています。

―地方出身で裕福ではなかった。決して恵まれた環境ではなかったけれど、逆境をバネにしてきた。
私は母子家庭出身で、姉と母との3人暮らしでした。家はボロボロの1Kのアパート。フィリピン出身の母は日本語が苦手だけど、私たちのために、めちゃくちゃ頑張って働いてくれた。だから貧乏だった過去を否定したくない。姉の存在も大きい。小学校4年生の頃に姉が「リエがダンスできるように都会に引っ越そう」と提案してくれたんです。姉も母も新潟にいた方が友達もいて幸せなのに、私の才能を見抜いて後押ししてくれた。
神奈川に引っ越して、小学校6年生からダンス教室に通い始めました。アシスタントをやらせてもらえるほど、あっという間に上達した。自信が付くと、ダンスに関わる仕事しか見えなくなった。その決意が固まり、「高校に行かない」と宣言しました。アメリカでダンスを学びたかったんです。見た目が派手だから、中学の先生にはグレたって思われたと思います(笑)。
―アメリカで感じたことは?
アメリカ人に比べ、自分が小さくて打ちのめされました。まねしようとしても、体の大きさはどうにもならない。でも、自分の身体や顔は変えられない。むしろ武器に変えるという発想に至りました。「日本人だからかわいい」とか「日本人なのにアメリカ人よりパワフルに踊れる」とか。そういうサプライズを見せられるなら何もかもが武器になる。
―RIEHATAさんにとってのブレークスルーは?
やっぱり、レディー・ガガさんとの共演が大きい。オーディション会場では、当時の私は無名のダンサーで、周りは有名な先輩方ばかり。それでも絶対に「選ばれてやる」と思う気持ちしかないから、腹くくって緊張は忘れました。ぶちかますぞっていう気持ちだけ。ガガさんと踊って「世界に行ける」と可能性を感じました。
―RIEHATAさんは逆境を言い訳にしないですよね。
「なりたい自分」とか。「憧れの人に会いたい」とか。理想が自分を動かすんです。私は小学生の時の書き初めで、みんなが「お年玉」「お正月」と書いている中、一人だけ「不退転の決意」って書きました(笑)。誰がなんて言おうとも負けない。挫折したらはい上がればいい。
大きな挫折もあります。歌手のAIさんのツアーにも抜てきされ、「さあ、これから」という時に大きなけがをしました。さらに妊娠していることも分かりました。子どもを産むか、膝の手術かという選択を迫られ、出産を選びました。車いす生活になり、踊れない。これまでうれしくて泣くことはあっても、つらくて泣くことはなかったんです。でも、その時だけは……。子どもがいるから、自分だけの人生ではなくなった。ダンスを諦める寸前まで行きました。でも、教え子たちをプロデュースし、世界大会に出場させました。RIEHATAの名前がそこでも世界に響いた。それを励みにリハビリを頑張って今があります。
―富山にもRIEHATAさんに憧れている10代のダンサーはたくさんいる。メッセージを。

地方にいることを強みだと捉えてください。何でも手に入れられる東京よりも自分と向き合えます。五感を研ぎ澄ますことができる。おしゃれなデパートがないなら、ダサいホームセンターの服をリメークすればいい。私は「不退転の決意」と同じくらい「発想の転換」という言葉が好きです。悔しさを力に変えて。全ては自分次第!
スイッチPlusー用語解説
ダンス…ストリートダンスは1960年代にアメリカで発祥。ブレイクダンスは2024年のパリ五輪の正式競技になるなど、大きな盛り上がりを見せる。ダンスが国内で浸透した背景には、12年に中学校保健体育の単元としてダンスが必修化されたことが大きい。人気アーティストの影響とSNSの「踊ってみた」文化の相乗効果も関心を高めた。
私の見方ーとやま若者調査からー
挑戦した方が心は安定
チャレンジしたい人と安定したい人の割合が1対3ですか。「若い人なのに」と驚く一方で、「そうだよね」とも思います。楽ですからね。でも、私はチャレンジをした方が心の安定を望めると思います。失敗しても、経験したことで充実感を得られると思うから。何かを諦めて得た安定は続かないと思います。

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5月28日紙面掲載