小説を書くようになったのは30代の半ばになってだった。

 私は一度社会人になってから美大に入ったので、卒業をしたときにはもう20代も半ばになっていた。卒業してなんとか就職してからも、ときどきグループ展や公募展に作品を出すくらいはしていたものの、そういった制作に集中することはできていなかったように思う。ちょうどわたしたちの世代のことを、世間が氷河期とかロスジェネとか言い始めたころだった。

 なんでもいいから美術に関連する仕事に就ければいいほうで、教職免許や学芸員資格を取っていても、みんな営業とかシステムとか総務とか、そういう仕事に就いていた。それでもまだ仕事があるだけでありがたかった時代だった。

 作品制作に集中できなかったのは、本業の忙しさに加えて他にいくつも副業をしていたからでもあった。夜にカフェの仕事をしたり、休日にイベントスタッフの仕事をしたり、月に数度、子どもに絵を教える仕事もした。貸し画廊で展示したり、作品を作るのにはとてもお金がかかったし、そのためにいろんな展示を見に行ったり、人と話したりする場所に行くことにもお金を使ったからだ。結局、それらのつながりはあまり今の仕事と重なっていない。

 その後30歳を過ぎると、さすがに体力の限界を感じて転職をした。その際に、平日9時5時の仕事だけに絞って、絵を描くペースもぐっと落とした。代わりにいろんな勉強をしようと思って、テレビも見ていなかった生活を改め、映画も見て本を読み、社会人向けの学校に通い始めた。そのとき受けた講座のうちのひとつに、小説教室があった。1年ほど通って、短編小説公募にひっかかり、何本かの短い小説を書く仕事をもらうことができた。もちろんそのくらいで生きていけるわけではないので、サラリーマンをしながら、また副業をすることになってしまった。

 でもこれはワラジでいうと二足で、今までの四足五足ぐらいのワラジとは比べ物にならないくらい楽だった。サラリーマンをしながら貰える原稿料なんてたかが知れていたとはいえ、雑誌やアンソロジー本の隅っこに自分の作品が載ることはうれしかった。

 今、20代の自分に「絵画の道をはやく諦めて、小説を書け」というつもりはさらさらない。そんなことしたら失敗するのは目に見えている。そんなに鼻息荒くやらなくっても、くらいは忠告するかもしれないけれど、そういったアドバイスを聞き入れるタイプでもない。そもそもあの忙しさがあったから、働きながら小説を書くことが苦痛じゃなかったのかもしれない。

 20代なんて、クサクサして無茶苦茶な失敗しても、どうとでもなる時期だと思っている。若くて体力もあるから多少無駄なことしても立て直せるし、体力がなくても時間はあるのだからゆっくり立て直せばいい。私のように働け、なんてとても思わない。あまり気負いすぎず、30歳からのいいネタになるとでも思って、とりあえずは生きていってほしい。

 

たかやま・はねこ 1975年富山市生まれ。多摩美術大卒。2010年「うどん キツネつきの」で第1回創元SF短編賞佳作を受賞しデビュー。「太陽の側の島」で林芙美子文学賞、「首里の馬」で芥川賞受賞。近著に「暗闇にレンズ」「旅書簡集 ゆきあってしあさって」(共著)