青春時代を過ごした富山、それは僕の運命を決めた場所でした。
1963年、アメリカ人医師の父と日本人ジャーナリストの母の長男としてニューヨークに生まれ、5歳の時に父の仕事の都合で広島市へ移住しました。インターナショナル・スクールを経て、市立小学校に転校したのが5年生のとき。日本の学習速度に追い付きたくて必死に勉強したところ、やればやるほど分かるようになり、このとき初めて勉強の面白さに目覚めた気がします。おかげで名門といわれる中学に進学することができました。

1970年代の広島市街地(旧広島バスセンターと紙屋町交差点、広島県立文書館所蔵)
■日米のはざまで
中学2年の夏、再びアメリカに戻ったのですが、集団の和と利益を重んじる日本とはあまりにも文化が違いました。個が優先され、子どもにも早くから成熟を求めるアメリカの社会。日本での「素直で純真」は「未熟な頭でっかち」と見下され、敬うべき教師が感情をむき出しにする姿を見て、一個人に過ぎないという現実を突きつけられました。
ひどく傷つき、高校1年の2学期に広島へ戻ることに。ところが、ここでも違和感に直面します。
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