私は弱虫
〇〇くんが〇〇くんにいじめられている
いじめている人は笑ってふざけている
いじめられている人は赤い顔で涙をふいている
見ている人はたくさんいた
私もその中の一人だった
じっと見ているうちに私は思った
「いじめている人に何か言わなければならない」
でも、声が出ない
ほかの人たちも言いたいのに言えないようだ
見ているだけだ
そのとき、はっとした
「私はいくじなしなのだ」
「私は弱いのだ」
と思った


 全校集会の場で、私は本校の子どもたちの半数がいじめを傍観していたことを伝え、ナミコさんの詩「私は弱虫」を朗読した。そして 「皆さん、この詩を読んで、どう思いますか?この詩を書いたナミコさんのことをどう思いますか?」と投げ掛けた。

 しばらくの沈黙の後、ナミコの親友であるトモエが手を上げた。
「私はナミコさんと一緒にいじめを見ていました。私も声が出ませんでした。怖かったからです」

 トモエの発言が口火となって、次々と手が上がった。その内容の大部分は、仕返しが怖くて何も言えずに傍観していただけだった自分のことを告白するものであった。

 私は改めて「ナミコさんのことをどう思いますか?」と問い掛ける。
 以下は、それに対する子どもたちからの反応である。

「『いじめている人に何か言わなければならない』と思ったのは、いじめられている人がかわいそうになったからだと思います」

「パクくんがいじめられているとき、いじめている人たちに注意したケイコさんのことを思い出したのかもしれません」

「ケイコさんのように注意できなかったので、反省して『私はいくじなしなのだ』『私は弱いのだ』と書いたのだと思います」

「ナミコさんは正直に書いているので勇気があると思います。この次にいじめを見たときは勇気を出してケイコさんのようにいじめている人に注意すると思います」

 私は全校児童657名の心に届くようにと念じながら語り掛けた。

ナミコさんは『弱虫』ではありません。
見て見ぬふりをせず、しっかりと見ています。
心の中で『何か言わなければならない』と思いながら見ています。
この次は思ったことを実行できるかもしれません。
そうなれば素晴らしいことです。

でも、がんばり過ぎないでください。
一人でいじめを止めようとするといじめられるかもしれません。
では、どうすればよいのでしょう。
一人ではなく周りのみんなでいじめを止めてほしいのです。
 
挿絵・金子浩子
みんなで“いじめっ子”をじっと見つめてください。
『いじめはダメ』と心の中で言いながら見つめてください。
それが『いじめを止める力』になります。
その力によって、“いじめっ子”はいじめをやめます。


 この全校集会後、本校のいじめはピタリとやんだ。

 1学期が無事終わった。2学期こそ、穏やかな日々が訪れると信じていたが、ある母親からの電話をきっかけに新たな問題が浮上した。5年生の女子たちの間で対立が起きていた。

〔付記〕事例はプライバシーへの配慮から登場人物を匿名とし、事実関係についても若干の修正が施してあることをお断りしておきます。
 

◆寺西 康雄(てらにし・やすお)◆

 富山県内の小・中学校と教育機関に38年間勤務し、カウンセリング指導員、富山県総合教育センター教育相談部長、小学校長等を歴任。定年退職後、富山大学人間発達科学部附属人間発達科学研究実践総合センターに客員教授として10年間勤務し、内地留学生(小・中・高校教員)のカウンセリング研修を担当。併行して、8年間、小・中学校のスクールカウンセラーを務める。

 現在は富山大人間発達科学研究実践総合センター研究協力員。趣味・特技はけん玉(日本けん玉協会富山支部長、けん玉道3段、指導員ライセンスを所持)。