春。娘は二歳になった。私たち夫婦は、二人ともフルタイムで働きながら、すくすく育ってゆく娘の世話をするという、これまでに経験したことのない忙しさの中で日々を過ごした。さらに、妻は初めての職種であり、私も管理職に異動したばかりで、それぞれ、覚えなくてはいけないことがたくさんある。ただこなせばよいという仕事ではない。二人とも、時間的にも、体力的にも、精神的にも、いっぱいいっぱいの状態となった。
げんじつは殺伐とただ広がりぬ。花も土筆も嘘だつたのだ
私は、五年以上続けてきた短歌教室を閉めることにした。熱心に受講してくださっている方々にはとても申し訳なく、心苦しかったが、月に二度の教室とその準備とは、大きな負担だった。
新元号が「令和」に決まったという発表があった翌日の早朝、私は締め切りをとうに過ぎた原稿を書くため、パソコンに向かっていた。明日朝までに送らないと、白紙で印刷することになりますよ、と編集者に言われていた。娘がまだ寝ている時間に、自分の睡眠時間を削って書くしかない。
ところが、文字数の設定をしようとしてうまくいかず、一文字も書けないまま刻々と時間が過ぎてゆく。何度試してもうまくいかないのに苛立ち、私はパソコンを物にぶつけて壊してしまった。今までも何度か、苛々してディスプレイを叩いてしまったことはあったが、壊すことはなかった。今回は画像が歪んで動かなくなり、本当に壊してしまった。そのことがさらに私の感情を高ぶらせ、ノートパソコンの本体を太ももに何度も打ちつけ、部品が弾け飛ぶまで完全に破壊してしまった。
小学生の頃、何かに苛立った時に、自分が楽しみに書き綴ったノートや、大事にしている物などを、発作的に壊してしまうことがよくあった。五十歳を過ぎ、しかも父親となった今、同じことをしてしまった。書斎をふらふらと出てシャワーを浴びながら、私は自分の行為に、またこれまで書きためてきた原稿のデータがすべて失われたことに、激しいショックを受け、浴室で大声を上げて泣き崩れた。
何事かと妻が起きてきた。私は嗚咽しながら、自分のしたことを言い、濡れたまま、妻の腰に抱きついた。普段、私の至らなさを厳しく指摘する妻が、この時は、一言も私を責めなかった。そして、そんなことは大したことじゃない、なんとでもなる、また書けばいい、文字数の設定なんて私がしてあげるよ、大丈夫、大丈夫、と言って慰めてくれた。四月だというのに、外は雪が降っていた。
その日の晩、妻のパソコンで文字数を設定してもらい、原稿を打ち込み、私のスマホに転送してもらって、深夜二時頃、なんとか送稿できた。後日、壊したパソコンの代わりに、妻のパソコンを一台譲ってもらった。そして、妻の仕事で付き合いのある業者の人に頼んで、壊したパソコンのデータを取り出して移してもらった。
忙しさの中で、気持ちのゆとりを失った結果、私自身が壊れてしまったのだったが、母親として、私以上にしんどい思いをしているだろう妻が、そんな情けない父親の私をしっかり抱きとめ、支え、立ち直らせてくれた。
妻を、光そのもののように感じた。
◆高島 裕(たかしま・ゆたか)◆
1967 年富山県生まれ。
立命館大学文学部哲学科卒業。
1996年「未来」入会。岡井隆氏に師事。
2004 年より8年間、季刊個人誌「文机」を発行。
第1歌集『旧制度』(第8回ながらみ書房出版賞受賞)、『薄明薄暮集』(ながらみ書房)などの著書がある。
第5歌集『饕餮の家』(TOY) で第18 回寺山修司短歌賞受賞 。
短歌雑誌『黒日傘』編集人。[sai]同人。
現代歌人協会会員。