富山市小見小学校1年でジャンプ競技を始め、高校時代には国体出場も果たすなど活躍。2012年ユース五輪ノルディック複合個人3位。昨年の平昌冬季五輪に代表5選手のうち最年少で出場した。幼少期は祖父母、両親、兄、姉との7人暮らし。
父・泰正さん
―小さいときはどんなお子さんでしたか?
とにかくじっとしていられない子でしたね(笑)。あちこち動き回って、手を焼いていたのを覚えています。私が中学校の教諭でクロスカントリー部を指導していた時に、幼稚園だった豪をよく一緒に練習に連れて行きました。そこで一緒に遊んでもらったり、先に兄(元複合日本代表の駿さん)がスキーを始めていた影響もあって、小学1年生の頃からクロスカントリーやジャンプに自然に取り組んでいった感じです。
―スキー以外の習い事はしていましたか?
冬以外は、野球を1年から6年生まで続けました。あとは、水泳です。「1級を取ったらやめてもいいよ」と言って始めさせたのですが、個人メドレーを100m泳ぎ切れるくらいまでにはなりました。つい先日もその話になり、「体のバランスも良くなったし、水泳は続けてよかった」と本人も言っていました。
―お子さんの才能に気づいたのはいつ頃ですか?
クロスカントリーの県大会では、1〜4年生の部で2、3、4年生と3年連続で優勝しました。ジャンプでも6年生の時に参加した長野の大会で優勝したんですが、全日本の上位に入る選手が多く出場した大会だったので、「ひょっとしたらコンバインド(ノルディック複合)だったら勝てるかな」と思ったのはその頃です。オリンピック出てくれたらいいなと思っていたけれど、あとは本人がやる気になるかどうかだと考えていたので、私から仕向けたことはありませんでした。
―やる気スイッチの入れ方は?
豪の場合は、「あの子に勝ちたい」とか、自分から目標を探してやる子でした。中学3年の時に出場した全国中学校スキー大会で2位になった時も、よくやったなと思って本人を見たら、悔しくて大泣きしていたんです。それくらい負けず嫌いだったので、私がこうしろとあまり怒った記憶はないですね。1位だった子とはその後も良いライバル関係が続いたので、本人のモチベーションにもつながっていたと思います。
―落ち込んだときの接し方はどうしていましたか?
泣いている時には、その時の気持ちをしっかりと聞いてあげて、「悔しかった」、「次はあの選手に勝つために練習を頑張る」といった言葉を、本人の口から引き出すように心がけていました。私自身も指導者としていろんな子を見てきましたが、親ではなく、本人が上を目指そうと思わないと意味がないので、決して押し付けではなく、しっかりとコミュニケーションをとって、気持ちを引き出してあげることが大事だと考えています。
―息子に望むことは?
ワールドカップで成績を残してほしいとか、五輪でメダルを獲ってほしいという気持ちももちろんありますが、本人が上を目指している限りは、怪我なく続けてくれることが一番かなと思っています。先輩の渡部暁斗選手や永井秀昭選手にも可愛がってもらっていますし、そういった環境に感謝しながら自分に負けずに頑張ってほしいですね。とはいっても、今でも結果は気になってしょうがないので(笑)、国際大会などはインターネットでリアルタイムで結果をチェックしています。