「将来に不安があった」。元裁判官の被告(32)は、かつて座っていた法壇を見つめながら、そう声を落とした。同僚から「真面目で優秀」と評されていた裁判官はなぜ、出向先で知った情報を基にしたインサイダー取引に手を染めてしまったのか。法廷で垣間見えたのは、エリート街道を走っていた被告が抱えていた「心の隙間」だった。(共同通信=助川尭史、木下リラ)

24歳で司法試験合格、「出向」で生じた小さな不安

 3月、被告は裁判官時代と同じツーブロックにきっちりと整えた髪形に、黒のスーツ姿で東京地裁の法廷に姿を見せた。初公判の冒頭に罪を認めた後、これまで何度も向き合ってきたであろう証言台のいすに座り、淡々と事件を振り返った。

 難関の司法試験に合格したのは24歳の時。2019年に裁判官になってからは大阪や那覇の裁判所で勤務し、著名な訴訟に携わったこともあった。結婚して子供にも恵まれ、周囲からは公私ともに順風満帆な人生に見えた。

 だが昨年4月、金融庁に出向になったことをきっかけに歯車が狂い始める。多様な知識や経験が求められる裁判官は、民間企業や官庁で勤務することがある。これまでずっと法曹の世界で生きてきた被告にとって初めての経験。「裁判所と全く違う環境におかれて、オリエンテーションもなく業務が始まった。1から勉強する必要があり、どうにかしていろんな知識を得なければと思った」。心の中に生じた小さな不安は、徐々に大きくなっていく。

「数キロオーバーなら許容される」。最小取引単位から始めた取引

 金融庁では、企業が株を買い付ける前に、事前に法的な問題が無いか審査する部署に配属になった。最初に職場で得た未公開情報を基に違法な株取引をしたのは、出向から約2週間後のことだった。「裁判官時代は経済事件を扱ったことが無く、興味関心があった。売買の手続きを株主の立場で体験して取引をする中で、株式市場の仕組みを知りたかった」

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