4月13日開幕の大阪・関西万博は、さかのぼること12年前、ある人物の一言から始まった。「万博は人を集める求心力がある。東京一極集中では駄目だ。今こそ、もう一度大阪で開催しよう」。大阪市中心部のオフィス街にある寿司店で熱弁を振るったこの人こそ、1970年大阪万博の仕掛け人として知られる堺屋太一。大阪府知事の松井一郎、大阪市長の橋下徹を前に「万博誘致論」を唱えた。会食の3日前には、東京での2度目のオリンピック開催が決まったばかりだった。大阪を再び成長させるためにも万博を―。危機感が突き動かした誘致活動は、時の政権を巻き込み、2025年の開催に結実した。
松井、橋下の2人が率いた日本維新の会は、「互恵関係」にあった安倍政権の後押しを得て、前身の政党時代から万博誘致を強力に進めた。開催地の人工島・夢洲(ゆめしま)は、オリンピックの大阪招致失敗で行き場を失った「負の遺産」。「いのち輝く未来社会のデザイン」を掲げる万博を、維新の関係者はどこに導こうとしているのか。けん引役の証言からひもとくと、浮かんでくるのはカジノを中心とした統合型リゾート施設(IR)を中心とする開発。キーワードはやはり「経済成長」だった。(共同通信=浦郷遼太郎/肩書きはいずれも当時、敬称略)
▽「70年とは似て非なるものに」
元経済企画庁長官の堺屋が、万博による大阪浮揚策を持ち出したのは2013年秋のこと。これに先立つ2011年には大阪府と大阪市それぞれの特別顧問に就任。作家としても知られる大阪市出身のアイデアマンは、松井、橋下のブレーンとしてたびたび知恵を授けていた。
当時の大阪は、1970年のそれとは大きく違っていた。6400万人超を集めた70年万博の頃は、高度経済成長の下で関西経済も発展。首都東京と並ぶ「二眼レフ論」もささやかれていた。
翻って、2008年に大阪府知事に初当選した橋下は就任初日に「財政非常事態宣言」を発出した。職員に放った言葉は今でも語りぐさになっている。「大阪府は破産状態と同じ。破産会社の従業員だという覚悟を持ってもらう」。日本総研は2010年8月のレポートで、関西の景気についてこう記している。「全般的に力強さに欠け、回復の裾野にもさほど広がりがない」
そんな状況を見かねてか、堺屋は寿司店で万博誘致を持ちかけた。