元タレントの中居正広氏と元フジテレビアナウンサーの女性のトラブルについて、持ち株会社のフジ・メディア・ホールディングス(FMH)とフジが委嘱した第三者委員会は、「業務の延長上における性暴力だった」と断定する調査報告書をまとめた。

 フジとFMHは人権擁護・コンプライアンス(法令順守)の体制強化など、再発防止策を発表した。フジサンケイグループに長年君臨してきた日枝久氏らがFMHとフジの取締役を辞任し、再出発を図る。

 広告主が次々にCMを差し止める前代未聞の事態にまで、なぜ至ったのか。フジは失った信頼を取り戻せるのか。調査報告書の内容や開局以来の歴史を踏まえ、探ってみた。(共同通信編集委員・原真)

 ▽ハラスメントがまん延

 第三者委は2025年3月31日に公表した報告書で、フジの港浩一・前社長らが「プライベートな男女間のトラブル」と捉え、人権に関する重大な経営リスクと認識しなかったと指摘した。中居氏の番組出演を継続するなど、被害者に寄り添わない対応がフジへの信頼を失わせ、危機的状況を招いたと強調した。

 また、第三者委は社員らへのアンケートや事情聴取を基に、フジでは他にも、アナウンサーらが取引先との懇親会に同席させられることが多く、「全社的にハラスメントがまん延していた」と認定。「(加害者を処分しないなど)誤った対応が、被害者にハラスメント報告をためらわせ、結果としてさらにハラスメント被害が生じる『負の連鎖』が繰り返されてきた」と厳しく批判した。

 港氏は1月27日に引責辞任し、清水賢治FMH専務がフジの社長を継いだ。6月以降、FMH社長も兼務する予定の清水氏は3月31日の会見で、ハラスメントの通報・相談窓口を整備し、誹謗(ひぼう)中傷から社員を守る仕組みを強化し、懲戒処分を「見える化」することなどを約束した。

 既にFMHとフジは3月27日、社長や会長を歴任した相談役の日枝氏をはじめ、ほとんどの社内取締役の辞任を発表していた。新経営陣は、社内取締役は清水氏ら2人しか残らず、取締役の過半数を社外から選んで監督機能を強化するとともに、女性を増やし若返りを図っている。

 ▽ニッポン放送、文化放送中心に設立

 正式名称フジテレビジョンの開局は1959年。株主はニッポン放送、文化放送のラジオ2社を中心に、東宝、松竹、東映の映画3社が加わっていた。フジをはじめテレビ局は、既存のラジオ局や新聞社が立ち上げることが多かった。

 ニッポン放送は財界が設立し、1954年に開局していた。経済団体連合会(経団連)副会長だった植村甲午郎社長は「財界のなかには、かねて財界の言い分が新聞、放送などで十分に伝えられていないといういらだちがあった」と設立理由を説明している(松田浩著「ドキュメント放送戦後史」)。実務を担った鹿内(しかない)信隆専務も、日本経営者団体連盟(日経連)の専務理事から転身した。なお、経団連と日経連は2002年に統合され、日本経済団体連合会(現在の経団連)になっている。

 一方、文化放送は1952年、キリスト教会を主体に開局したものの、間もなく経営が行き詰まる。財界が乗り出して株式会社化し、経済同友会創立メンバーの水野成夫氏が社長に就いた。国策パルプ工業社長だった水野氏は同様に、産業経済新聞社(産経新聞)の経営も引き受けていた。フジとニッポン放送、文化放送、産経新聞は保守的な財界の色が濃いグループを形成していく。

 フジの初代社長は水野氏が務め、1964年に鹿内氏に交代した。当初の局のキャッチフレーズは「母と子どものフジテレビ」。先行する日本テレビなどと違う特徴を出すため、子ども向けのドラマやアニメ、主婦向けの昼のドラマなどを積極的に編成する。漫画を原作にした「少年ジェット」、日本初の本格的な連続アニメ「鉄腕アトム」、“よろめきドラマ”と呼ばれた「日日の背信」は大ヒットした。

 他にも、俳優やスポーツ選手の素顔に迫る「スター千一夜」、歌舞伎出身の俳優・大川橋蔵さん主演の時代劇「銭形平次」、今も続く音楽番組「ミュージックフェア」、女優の高峰三枝子さんが司会するワイドショー「3時のあなた」などが人気を集めていった。

 ▽視聴率三冠王

 鹿内氏は系列の地方局を増やし、番組を全国に流すネットワークを組織した。1970年には、合理化のため、番組制作部門を分社化する。これが裏目に出た。制作現場の士気は下がり、視聴率も低迷した。

 1980年、鹿内氏は「創立以来最大の危機にひんしている」と訴え、改革に乗り出す(村上七郎著「ロングラン」)。長男の鹿内春雄氏を副社長に据えて事実上経営を任せ、放送局の要である編成局長に日枝氏を抜てき。分社化した制作部門を吸収して制作局を復活させ、「楽しくなければテレビじゃない」をスローガンに掲げた。

 この改革によって、フジは息を吹き返す。フジの正社員に戻ったプロデューサーやディレクターは、次々に斬新な番組を作り出した。漫才を現代的なエンターテインメントと位置付けた「THE MANZAI」。芸人のアドリブに任せた破天荒なバラエティー「オレたちひょうきん族」。クイズ形式で世界の文化を伝えた「なるほど!ザ・ワールド」。北海道の雄大な自然を背景に、家族の成長を追ったドラマ「北の国から」。そして、都会の男女のスタイリッシュな恋愛を描いた「君の瞳をタイホする!」に始まるトレンディードラマ…。

 バブル経済期の前後、フジは若年層を軸に支持を集め、1982年から1993年まで視聴率三冠王を達成した。全日(6~24時)、ゴールデン(19~22時)、プライム(19~23時)の全ての時間帯で、他局を圧倒したのだ。

 さらに、「南極物語」などの映画や、情報通信の未来を示すイベント「夢工場」も、大成功に終わった。

 ▽クーデターで日枝体制に

 1988年、改革を主導していた春雄氏が、42歳の若さで急逝した。春雄氏の義弟で日本興業銀行員だった鹿内宏明氏がフジ、ニッポン放送、産経新聞の会長に就く。しかし、同年にフジ社長となった日枝氏らと対立した。

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