秋が来たなと思った日、秋の空気を体いっぱい吸い込んだ。たちまち体の中が橙色に染まり、芯からあたたかくなってきた。体の内側の衣替え完了である。
わたしは春夏秋冬、どの季節でもこれをする。

新しい季節がやって来たなと感じる一日。そんな日には、もうこれ以上吸えないというところまで空気を吸う。すると、体の中がその季節の空気の色に変化する。これが体の内側の衣替えが完了したサインだ。
春は桃色、夏は緑色、秋は橙色、冬は水色。わたしの中では、洋服の衣替えと体の内側の衣替えの両方が終わってやっと季節が変わったなと実感するのである。
秋の空気はつめたい。けど、あったかい。きっと橙色をしているからだろう。暖色系というだけあって、橙色はあたたかいのだ。感覚というのは不思議だなとつくづく思う。だが、寒くなるこの時期にはそんなあたたかさがありがたい。
秋は耳にもよい季節だ。童謡『虫のこえ』にもあるように、松虫や鈴虫など虫たちの鳴き声がおもしろい。
夜、暗い部屋で窓を開けて、両耳の後ろに手のひらをあてる。そして、目を閉じて、耳を澄ます。すると、虫たちの美しい合唱がより近く、より豊かに聞こえてくるのだ。
わたしは小さい頃から耳の後ろに手をあてて音を聞くことを好んでいる。こうすると、手も耳になったみたいで音が集まりやすいのだ。そうしてわたしは耳からも秋を招き入れるのである。
そんな秋といえば、やはり食欲の秋だ。先日、秋らしい食べ物を買ってきた。栗である。おいしい栗ご飯にしてお腹の中まで秋にしようというわけだ。ごきげんで家に帰り、にこにこで皮を剥いた。
腐っていた。ほとんどの実が真っ黒だった。黄色のものもいくつかあったが、割ってみると中が黒かった。ショックだった。
まあ、売れ残っていたのを半額以下で買ってきたのだからこんなこともあるだろう。わたしをあんなにごきげんにしてくれた栗にはむしろ感謝するべきなのである。誰かをごきげんにするというのは誰でもできることではないのだ。
わたしにはそんな偉大な栗と並ぶもう一つの秋らしいものが待っている。さつまいもだ。
洗ってから濡れたキッチンペーパー、アルミホイルの順に包んで、オーブンでじっくりと焼く。今度こそお腹の中も秋にするぞと決意を固め、焼き上がるのを待った。
稲が刈られた田んぼの風景の中に彼岸花がすっと立っているのがまた秋らしいなと思いながら窓の外を眺めていると、焼き芋のいいにおいが部屋に漂い始めた。
わたしの部屋にも秋が来たのである。そのできたての秋の空気を体いっぱい吸い込んだ。そして、お待ちかねのおいしい秋をお腹の中へ招き入れるのであった。
1999年3月生まれ。黒部市在住。歌人。2022年に第1歌集「すべてのものは優しさをもつ」(ナナロク社)を刊行。