山階基の第一歌集『風にあたる』(短歌研究社)が2019年に発刊して以来、久しぶりの第二歌集は、コロナ禍をはさんで、ずいぶんと、生活の質感の異なる内容になったように思う。わたしの感覚としては、生活のなかに薄く漂う不安感が前作よりも、少しだけ、濃く現れているという認識がある。

 めげそうな夜はバンドを組むだろうわたしはドラムあなたは叩く

山階基著『夜を着こなせたなら』 (短歌研究社、2200円)

 あなたとわたしの夜のために、世界に存在している本だったことだけは確かだ。ここでいう、あなたとわたしは、特定の誰かのことではない。この文章を読んでいるあなたがおそらくは想像している、わたしの話をしている。

 ずっとやさしくて、いつかのことがさみしくて、ちょっとくるしくて。そのような歌集だ。生活のきしみのようなものも、ざらざらとした質感をともなって混ざるけれども、破綻を迎えることはない。日々は、淡々と続いていく。日常が、目に見えて、決定的に壊れてしまう、凄まじい出来事なんて、訪れることはあまりない。ただ、不穏な影は、目の前を、ふと、通りすぎていく。適切な処理をしないままに、通りすぎていく。

 ふらふらと肺は胸から遠ざかり服薬のあと夜を持てあます

 告白すれば、わたしには、夜を持てあます日がある。この夜をどうすればいいのか、わからない時間が、不意におとずれる日がある。たとえば、あなたの病とわたしの病は違うだろう。このあとも、一生、違うだろう。服薬したあとの夜の、どうしようもない感情の、行き場が見つかることはない。誰のことを責めるわけにもいかない。ただただ、持てあます。その時間をいったんは忘れる。眠りについて、明日の朝は、なかったことにして、生活を新たに始めるだろう。

 夜を着こなせたなら、と願う。いまはまだ、うまく、着こなせていない。あなたも、わたしも。

あやと・ゆうき 1991年生まれ。南砺市出身。劇作家・演出家・キュイ主宰。2013年、『止まらない子供たちが轢かれてゆく』で第1回せんだい短編戯曲賞大賞を受賞。