新たなドラマーとしてZAXを迎え、難波章浩(ベース&ボーカル)、横山健(ギター&コーラス)、ZAXの3人でミニアルバム『Screaming Newborn Baby』を完成させたHi-STANDARD。盟友・恒岡章さんを失ってもなお、難波が「このままじゃ終われない」と語った理由、 “最高のお爺ちゃんバンド”を掲げて進化し続けようとする決意、ドラマーオーディションの裏側、そして新作に込めた思いに迫る。(聞き手:矢島大地)

【写真】CDショップにゲリラ設置されたHi-STANDARD試聴コーナー

■切なさを乗り越えたところで生まれたものを伝えたかった(難波章浩)

――90年代に革命を起こしたバンドが活動休止し、『AIR JAM 2011』で復活を遂げ、東北での『AIR JAM』を経てからもていねいにバンドを再構築し、そして『THE GIFT』をリリースしたというストーリーも含めて、ハイスタは誰からもレジェンドとして語られる部分が多かったと思うんですよ。だけど実際は、その座に居座るつもりもなく、ビッグネームとしてシーンを引っ張ろうとするわけでもなく、もう1回新しい夢を作りにいっているだけなんだという話ですよね。

難波 もちろん音楽のタイプとしては「やっぱりハイスタだね」っていう感じになるだろうけど、俺らはリバイバルをやりたいわけじゃないからね。ただ自分たちの人生として進化したいし、新しい衝撃を与えたい。新しいハイスタとしてスタートを切るにあたって、そういう次元から出てくるものを作りたいとは思ってた。俺らは今の自分たちに実直にいることで進化し続けたいし、何かで1位とりたいとか、そういうのはもうよくてさ。ただ最高のお爺ちゃんバンドになって、新しい何かを作りたいだけなんだよ。そもそも、おじさんになるのも初めての経験だしさ。

横山 そうだね(笑)。

難波 で、お爺さんの領域が見えてきたということに腹を括らないといけないときがくるんだよ。そうなると、ただお爺ちゃんになっていくだけじゃなくて、進化するお爺ちゃんを目指さないといけなくなってくるの。The Rolling Stonesもずっと進化してるし、METALLICAもGREEN DAYもそうかもしれないけど、ただ枯れるんじゃなく、さらにすごい領域に行くお爺ちゃんバンドを目指したい。そこに腹を括ったことが、また新しいエネルギーになったんじゃないかな。だから今回は、ハイスタらしさがどうとかは考えてないかもしれない。自分たちのエネルギーを余すことなく伝えたいっていうことだけを考えてた気がする。

――まさに今回の『Screaming Newborn Baby』の心臓部分を説明してもらった気がします。「老いていくだけでは終わらない」というのは、ツネさんが亡くなってから難波さんが健さんに言ったという「このままじゃ終われないよ」という言葉にも通ずるように思うんですが、「このままじゃ終われない」という言葉の真意はどんなものだったんですか。

難波 その言葉が出てきた理由はいくつかあるんだろうけど、その根底にあるものを今まで分析したことがなくて。でも健くんが一昨日アップした『横山健の別に危なくないコラム』を読んで、自分でも考えてみたんだよね。まずひとつ目はやっぱり自分の人生なのよ。ツネちゃんが亡くなる前にNOFXの解散が決まったという話を聞いて、Fat Mikeから“I’M A RAT”を授かり、そのスタジオ作業の中でいくつか新曲を作って『SATANIC CARNIVAL 2023』で披露し、2024年のNOFXの解散ツアーに向かっていく――それが当初考えていたことで、俺は「やっとハイスタができる!」っていうところに思い切り向かっていたわけ。そのときは「なみ福」もオープンしていたけど、気持ちとしては「やっとハイスタができる、バンドで歌える」っていうところに向かっていたから、本当は「ラーメン屋ばっかりやってる」って言われる俺はすでに終わってたの(笑)。そうやって「ここからお爺ちゃんになってもハイスタをやれるんだな」「3人で一緒に歳を重ねていけるんだな」っていう人生が見えていた分、ツネちゃんが亡くなったあとも俺の人生としてやり残したことがあると思ったんだよね。

 あともうひとつは、やっぱりHi-STANDARDはいろんな人に影響を与えてきたバンドなんだよなっていうことを思い返して。今の40代、50代にも悩んでる連中がたくさんいて、俺らの周りにも、大変なことに直面してるヤツがたくさんいる。そういう人たちに「ハイスタいなくなるのかよ!」って思われたくなかったし、俺らも乗り越えてきたぜ、まだまだ行くぜっていう気持ちを伝えて着火したかったんだよね。そういういろんな気持ちがあったんだけど、それが全部がまとまって「まだ終われない」っていう言葉になって出てきたんだと思う。

――「お爺ちゃんバンドになっていけるんだな」という気持ちでハイスタのギアを入れたというのは、Hi-STANDARDが人生の結末までのすべてを曝(さら)け出す場所に変化したということなんですか。

難波 そうなのかもしれない。ツネちゃんが亡くなってから、やっぱり健くんがいたから俺はやってこられたんだと痛感してさ。だったらハイスタでその絆を表現したかったし、ツネちゃんのあとに俺の両親も立て続けに亡くなったんだけど、今の世の中は俺以外にも大変な目に遭ってる人がたくさんいてさ。こんなに辛い想いをしている人たちがいるなら、俺がこの切なさを乗り越えたところで生まれたものを伝えたかったんだよ。俺もハイスタもそういう存在になれる気がしたし、それを伝えられるチャンスがあるんだったら、俺はまだまだ生きたいと思った。

■ハイスタって自分以上なんだよね、いっつも(横山健)

――健さんは、ツネさんが亡くなったあと、難波さんから「俺、このままじゃ終われないよ」と言われたときにどんな心持ちでいらっしゃいましたか。

横山 「俺、このままじゃ終われないよ」っていう言葉には「俺」という主語がついているけれども、それはナンちゃん自身のことだけじゃないと思って。その言葉を言われた瞬間、俺もスイッチが入って「そうだよね」って答えたんだよ。グワーッとスイッチが入ったというより、クッと思考が変わったというか。「その手があったか!」っていう感じになったんだよね。もちろん、ツネが亡くなった直後で何をどうしようっていう具体的なものはなかったけれども、俺もそういう心持ちでいようと思えた。

難波 ツネも亡くなって俺の両親も亡くなったけど、それ以外にもたくさんあるじゃん。公には言ってないことも含めて、いろんな苦しいことがあって。それを乗り越えるというか、生き残っているという感覚に近いのかもしれないけどさ、それでも音楽を中心にして突き進めている人はそんなにいないと思うのよ。だったらその状況を幸せに思って、生きている中で感じたことを発していく以外にないんだよね。それに、俺らはそもそも困難を乗り越え続けてきたバンドだから。最初期の話で言ったら、せっかく作ったCDをリリースしようと思ってもリリースできなかったり(笑)。その都度、俺と健くんで綿密にいろんなことを考えて解決してきたのよ。

横山 そう、俺らは一事が万事そうだったんだよね。だから「このままじゃ終われないよ」っていうのは実にハイスタ的な思考なのよ。まあ、3人兄弟のひとりを亡くして、ついに3人組も終わりかっていう事態になって、それでも「このままじゃ終われない」っていうのは言葉で言うとシンプルなんだけど、そのマインドに至るまでのエネルギーは並大抵なものじゃなくてさ。ただ、ナンちゃんはピュアだから、「このままじゃ終われない」っていうところに行き着くためのエネルギーを真っ直ぐに見せてくれたんだよね。そのおかげで、いろんな局面を乗り越えてこられたんだと思ってる。

難波 言っちゃえば、兄弟のツネちゃんが亡くなって、その後任を見つけるなんて無理だってことは俺ら自身がよくわかってたんだよ。だからハイスタ人生で一番の困難であることは間違いなかったんだけど、そのときに「後任なんていないから、これで終わりましょう」っていう決断をするのは、それこそハイスタらしくなかったんだよね。だから、どう乗り越えるのかはわからないけど、それでも乗り越えたかったんだと思う。…昔も今も、ハイスタの音楽をプレイしたときって、何かわかんないけどすごい感覚になるのよ。その感覚をキャッチした人が「すごい」と言ってくれる以上に、ステージで演奏してる俺ら自身がすごいことになっちゃう。そのエネルギーがあれば俺は生きていけるし、ハイスタがあればどんだけディスられても構わないって思えるから。ハイスタに俺自身が励まされてきたんだと思う。

横山 めちゃくちゃわかる。ハイスタって自分以上なんだよね、いっつも。

――感覚的な言い方ですけど、BPM以上のスピードを感じる音なんですよね。そこがすごい。

横山 ま、それくらい速く生きてるからね!(笑)そりゃ速くなるよねって話ですよ!

難波 ははははは。そのスピード感があれば何をやってても楽しいし、ハイスタで鳴らしていれば生きていけるんだって本当に思うなあ。

横山 だからきっと、ハイスタとはもはや哲学であり思想なんだなあ…。

――俺は本当にそう思いますよ。

横山 これは真面目に思うことなんだけど、たとえばTHE BLUE HEARTSは社会現象だったでしょ?いろんな人を巻き込んで、その中には社会学者もいて、THE BLUE HEARTSが社会に与えたものを記した論文も存在している。でもHi-STANDARDに関しては、その思想とか現象をまとめた論文が存在しないの。もっと言うと、Hi-STANDARDを論文にしようっていうところまで行き着かない何かがある気がするのよ。

難波 その「何か」を出してこなかったのが俺ら自身なのかもしれないよね。出せるのに出してこなかった。

横山 そう、何より俺らのキャラクターが、そういった社会的な位置づけにブレーキをかけてるような気がしていてね。

――90年代の音楽業界や社会のシステムの外に出て革命を起こしたからこそ、社会的な何かに絡め取られたり、位置づけられたりすることを拒絶してきたところはあるんじゃないかなと思っていて。で、論や学問や哲学に収められない存在として進んできたから、ハイスタの存在はずっとポップであり続けてきたと思うんですよ。強烈な時代性がある一方、崇高な何かにならないことで自由と輝きとポップさを守ってきたというか。

横山 ああ、なるほどね。

――あくまで近所の兄ちゃんみたいな存在でいるから、わざわざ論文にしようと思わないのかもしれないですけど。

横山 別のインタビューでナンちゃんが「ワーキングクラス・ヒーローであることを念頭に置いてきた」と言っていたんだけど、確かに僕も、なるべく自分の日常を大切にして、自分がどこから出てきたのかを忘れずにいようと思っていて。インタビューの冒頭で「レジェンド」という言葉もあったけど、僕らのキャリアや実績も含めてレジェンドになってしまったのならしょうがないことだよね。だけど俺ら自身は、そこに胡座(あぐら)かくかよ!っていう気持ちをずっと持ってる。それが根底にあるから、社会的などうこうよりも「そこの角に住んでるおじちゃん」みたいな感じが生まれてるんだと思う。ナンちゃんは「なみ福」というラーメン屋さんをやって、俺はPIZZA OF DEATHという会社をやって、日常に足を着けて生きているからこそ崇高な存在になれないところもあるだろうし。まあ、俺らが何者なのかをハッキリさせてもいい年齢になってきたとは思うんだけど。

■「何かあればいつでも駆けつけますよ」って伝えてました(ZAX)

――まさに、人生丸ごと表現していくタームに入られたことがここまでの話からも伝わってきます。そしてもう少し振り返る話をしたいんですが、「このままじゃ終われない」という意志の元に、2023年の7月に新ドラマーのオーディションを実施されました。そのオーディションではドラマーが決定しなかったという結末まで含めて、あのときのハイスタの状況はどうだったのかを伺えますか。

横山 そうだな…俺個人は、あのオーディションでドラマーが見つからなかったことで一瞬モチベーションを失いかけて。まあナンちゃんが誰か連れてくるでしょ!くらいに思わないと、もうどうしたらいいかわからないっていう感じになってた。

難波 しかも年が明けた3月にはNOFXの解散ツアーを一緒に回ることが決まってたから。その予定がなければ、ドラマーが決まらないまま時間が過ぎていってた可能性もあるよね。

――先ほど難波さんは「ツネの後任が見つかるわけがないとは理解していた」とおっしゃったんですが、その事実を理解したうえでも、やっぱり新しいドラマーと出会うのは難しいことだったんですか。

横山 俺らは、人を細かく見られてなかったんだと思う。ドラマーの人たちが応えてくれるより先に、俺らが答えをほしがってしまったというか。率直に言うと、ドラマーの人たちが「僕にはこんな色があります」っていうのを見せてくれるより前に、「きみはツネちゃんじゃないよね」って思っちゃってたのかもしれない。

難波 ああ、そうか。

横山 やっぱりツネちゃんと比較してたんだと思う。で、それを凌(しの)ぐほどのストロングポイントがあるかどうかも、1回や2回の練習で合わせてみただけじゃわからないはずなんだよ。だけど僕らは、それを細かく見るより先に答えをほしがってしまったんだと思う。自分らで人を集めておいて何なんだよっていう話だけどさ。

難波 俺も、どこかにツネちゃんみたいな人がいると思ってたんだよね。だから一般公募のオーディションをやろうと決めたわけだけど、結局のところ、やっぱりツネちゃんはすごかったんだなって実感してしまって。改めてオーディションに応募してくれたたくさんのドラマーの方々には感謝しかなくて。

横山 技術的なことで言えば、素晴らしいドラマーがたくさんいたんだよ。だけど新しいドラマーが決まらなかったのは…結局、俺らがほしかったのは「重ねた時間」だったからだと思う。そりゃ決まらないよねって話だよね。でも、オーディションに参加してくれた人に対しては失礼だけど、あれがあってよかったとも思うんだよ。あのオーディションがあったことで、NOFXのツアーを前にして考えを改められたから。ツネと同じドラマーがいるわけがないし、ツネとともに重ねた時間を人に求めるのも違う。そう考えるようになって、本当の意味で次に向けて動き出せたんだと思う。

――そういうときも、ZAXさんはハイスタとコミュニケーションをとっていたんですか。

ZAX 連絡はとってました。何かあればいつでも駆けつけますよって。

難波 そう、オーディションが上手くいかなかったあとも、ZAXは「俺にできることがあったら言ってくださいね」って言ってくれてたの。「スタジオでも何でも付き合いますよ!」って言ってくれて、それがうれしかったな。

――最終的にはその意気と人間の部分に惹かれたということですよね。

難波 そうなんだろうね。そんなこと言ってくれる人、ほかにいなかったから。音も大事だけど、やっぱり人間だったんだと思う。

■今でもツネちゃんはHi-STANDARDでいるんだなって、改めて思うよ(難波章浩)

――そしてNOFXの解散ツアーをZAXさんと一緒に回って、冒頭に話したとおり、昨年の5月に加入が決定。そこから『Screaming Newborn Baby』の制作に入っていき、健さんのコラムによると、難波さんとZAXさんの2人で楽曲を組み立て始めたと。そういう制作スタイルはハイスタ史上初めてのことですよね?

難波 そうだね。あの時期は健くんがKen Yokoyamaのツアーで忙しかったから、まずは俺から制作に着手するのがいいんじゃないかなと思って。で、ZAXが「スタジオでも何でも付き合います」って言ってくれてたから、じゃあ2人でやってみようぜっていうことになり。俺は俺で「やっとハイスタをやれる!」っていう感じだったから、溜めていたメモがたくさんあったのよ。それを形にすることから始めてみようっていうことで、最初に作ったのが「Moon」だったんだよね。のちに健くんが制作に入ってから形は変わったけど、そのときから「Moon」の片鱗はあった。あと「Our Song」の原型もそこで作ったのかな。

――難波さんとZAXさんが作った楽曲に対して、健さんはどんなことを感じましたか。

横山 これは僕のコラムにも書いたことなんだけど、2人で作った曲が送られてきたときに、どうしたらいいかわからないと思ってしまって。ある程度形になった曲たちだったから、「この曲はこのフレーズを弾けるから楽しい!」って思えるアイデアを入れ込めなかったんだよね。だからやっぱり、スタートから俺も一緒に作らないといけないなって思い直して。

難波 俺は俺で、健くんならこの曲に圧倒的なキラーフレーズを入れてくれるはずだ!っていう気持ちだったんだけど、でも健くんが納得できないならしょうがねえと思って、「Moon」も再構築することになったんだけど。

――その「Moon」が本当に素晴らしい曲だと思いました。速さの中に跳ねた感覚が入ってくるビートが新鮮で、全楽器が歌っていて、メロディが切なく染み入ってきます。この曲はどういうところから出てきたのかを教えてもらえますか。

難波 これは、ツネちゃんに向けて曲を作りたいなっていうところから出てきた。だからメロディにも哀愁が漂ってるんだけど、それと同時に、普段は新潟で生活しながら曲を作ってるから、何となく新潟特有のエモさが入っちゃって。新潟は寒いときは本当に寒いし、エモがるのが好きな人が多いんだよね(笑)。だから、ツネちゃんへの気持ちと、俺が暮らしている新潟の風景と。それが合わさって出てきたメロディなんだと思う。新潟は月が綺麗でさ、その綺麗な月を眺めてるときに「この月明かりにツネちゃんを感じるなぁ」と思って。そういうところから書いていったかな。で、これは健くんに言われて思い出したことなんだけど――ハイスタ結成したての頃に、ツネちゃんも歌詞を書いてみなよって言ったことがあったのよ。それでツネちゃんが書いたのが<月明かり>みたいな歌詞だったの。そう考えると、ツネちゃんに導かれた歌なんだろうね。今でもツネちゃんはHi-STANDARDでいるんだなって、改めて思うよ。

――歌詞の最後に<最高の“ジジイバンド”になってやる/それはお前のためか?/オレのためか?/お前も同じこと考えてるだろ?>(和訳)という言葉がありますよね。この覚悟と、ツネさんの存在も自分の人生も全部連れて行こうとする気持ちが新しい衝動になっているのが今作の肝だと思うんですよね。

難波 ツネちゃんがいたときから「俺らもお爺ちゃんバンドになっていくんだね」っていう話をしてたんだよね。それがちょうど「I’M A RAT」を作っていた頃なんだけど、カッコいい爺さんバンドになるんだっていうことが新しいエネルギーになってきたのは間違いない。自分らで「ジジイになっちゃったな」なんてなかなか言えないけど、でもそれを先に言うことで、この先を全力で走れると思ってたんだろうね。

――「I’M A RAT」の頃から、人生の第4コーナーを回って、最後のストレートに入るぞと思っていたんですか。

横山 そう、最後のストレートに入ったと思ってた。今まではHi-STANDARDの活動時期とKen Yokoyamaの活動時期を分けていたんだけれども、この先は何が起こるかわからない年齢になってきたなと思うことが増えて。だったらハイスタもKEN BANDもいつでもやれるようにしよう!っていうふうに考え方が変わっていったんだけど、それは俺だけじゃなくて、バンドとしてそういう姿勢になってたんだと思う。

難波 しかも「I’M A RAT」のときのツネちゃんが半端じゃなかったからね。2011年以降のツネちゃんは心が疲れてたから、正直、パワーが足りないなって思うこともあって。だけど「I’M A RAT」の頃は、それを完全に払拭するドラムを叩いてたんだよ。つまり「I’M A RAT」までの期間、ツネちゃんはひたすら鍛え続けてハイスタのために準備をしていたんだよね。それもあって、これは絶対にイケるじゃん、若者にも負けないジジイバンドになれるじゃんって確信してたし、「カッコいいジジイバンドになろう」っていうのはツネちゃんがいた頃から思い描いてきたことなのよ。

(聞き手:矢島大地)

【プロフィール】
1991年から活動を開始。『LAST OF SUNNY DAY』(94年)、『GROWING UP』(95年)、『ANGRY FIST』(97年)といったミニ/フルアルバムをリリースし、97年には主催フェス『AIR JAM』をスタート。99年に自主レーベル『PIZZA OF DEATH RECORDS』を設立してアルバム『MAKING THE ROAD』をリリースし、インディーズとしては異例のミリオンヒットを達成した。2000年の『AIR JAM 2000』を最後に活動休止し、11年に東日本大震災の復興支援を目的とした『AIR JAM 2011』を開催して復活。16年に16年半ぶりの新作『ANOTHER STARTING LINE』をリリースし、その後も『AIR JAM 2016』『AIR JAM 2018』の開催や、18年ぶりとなるアルバム『THE GIFT』をリリースした。23年2月にドラマーの恒岡章さんが死去。4月に恒岡さんの遺作となる「I'M A RAT」を配信リリースし、6月にサポートドラマーを迎えて『SATANIC CARNIVAL 2023』に出演した。今年9月にThe BONEZ/Pay money To my Painのドラマー・ZAXが正式加入することが発表され、11月26日にアルバム作品としては8年ぶりとなるミニアルバム『Screaming Newborn Baby』をリリース。12月よりツアー『Screaming Newborn Baby Tour』を開催する。