第19回ショパン国際ピアノ・コンクールで4位に入賞した桑原志織さんを中学生の頃から指導し、ベルリン留学後も折に触れてレッスンをしてきた恩師のピアニスト伊藤恵さん。桑原さんがコンクール開催地のワルシャワに向かう前の演奏に「大輪の花が咲くような予感がした」といい、「この先につながるものを見つけるチャンスに」との言葉を贈ったという。桑原さんの音楽の豊かさや、入賞の喜びについて聞いた。(取材・文 共同通信=團奏帆)

 ショパンコンクールで多くの曲を弾き切り、4位に入賞。本当に素晴らしいことで、よく頑張ったと思います。

 志織さんは今回のショパンコンクールを受けるつもりはなかったようです。コンクール事務局側から「受けていただける資格があります」とお誘いがあり、急きょ課題曲に取り組んだはずです。5月にはエリザベート王妃国際音楽コンクール(ベルギーで開催)も受けており、大変だったのではないかと思います。

 志織さんが14歳、中学2年生の時に初めて演奏を聴きました。難曲といわれるラヴェルのオンディーヌをすでにとても美しく弾いていて、天才少女は実際にいるんだな、と感じたことを覚えています。

 彼女は聡明で、レッスンで私が一を言えば十を理解する優秀な学生でした。もちろん、たゆまぬ努力もしました。そして何より、多くの音楽を聴き、本を読みました。ベルリンへ留学してからも美術館へ足を運んだりオペラを鑑賞したりと、さまざまな芸術に接し、自分自身や音楽を豊かにし、磨き続けてきました。精神的に深いものを求め、時に哲学的なことを考えてもいました。

 コンクール事務局側から直々にお誘いを受け入賞できたのは、彼女が目指してきた「豊かな音楽」に、知らず知らずのうちにたどり着いていた結果なのではないかと思います。

 彼女がワルシャワに出発する前「今回を集大成と考えてはいけない。これからのピアニスト人生の方が長く、ここから音楽家としての本当の人生が始まるのだから。コンクールを、この先につながるものを見つけるチャンスにしてほしい。自分の音楽を信じて。演奏会だと思ってショパンに音楽を捧げてきて」と伝えました。インタビューで彼女がそのことに触れてくれたそうで、とてもうれしく思っています。

 その時、演奏を聴かせてもらったのですが「志織さんは大きく変わるのではないか」という予感がありました。大輪の花が咲くような予感が。実際、彼女のコンクールでの演奏は、たった数カ月前とも違うレベルに達しているようでした。ワルシャワでなにか啓示があったのかなと思ったぐらいです。

 動画で見たコンクールの演奏は、それぞれのラウンドが一つの物語のように聴こえました。まるで物語や叙情詩を読んだかのような。そして、彼女の誠実で温かな人間性が伝わってきました。音楽への深い愛情や慈愛に満ちていて、それが品格や気高さとなって表れている豊かな演奏だったと思います。

 プレッシャーに打ち勝ち、素晴らしい空間でたくさんの方に演奏を聴いていただいたショパンコンクールは、彼女の音楽家人生を変え、糧となると思います。彼女が帰国したら…そうですね、おいしいものを食べさせてあげたいです。

   ×   ×

いとう・けい 1983年のミュンヘン国際音楽コンクールピアノ部門で日本人として初めて優勝。2018年のジュネーブ国際音楽コンクールの審査員も務めた。東京芸術大教授。