ベルギーで開かれた世界三大音楽コンクールの一つ、エリザベート王妃国際音楽コンクールのピアノ部門で日本人歴代最高位に並ぶ2位に入賞したばかりのピアニスト久末航が、拠点とするドイツ・ベルリンで取材に応じた。12月に東京での「凱旋リサイタル」も決まり、活躍の場を広げる久末が語るピアニスト人生の転機とは。(共同通信=須賀綾子)
▼記者 エリザベート国際コンクールを振り返っていかがでしたか。
●久末 ビルトゥオーソ(超絶技巧の奏者)や華やかな演奏が好まれる風潮がある中で、派手さではない部分や現代作品にも重きを置いていて、自分に合っているなと、ドイツに留学した時から意識していました。まだまだ模索中ですが(入賞は)自分が表現したい色や音楽性に対して、背中を押してもらった感があります。
▼記者 手応えはありましたか?
●久末 今回はドイツの作曲家の曲を弾くことが多く、自分が思う以上にドイツ音楽が肌になじんでいると実感できてうれしかった。ドイツで12年過ごし、ベートーベンやブラームスを弾くとドイツの深い森や空の色、大聖堂に立ちこめる匂いをイメージすることもあります。人との関わりも含めて、多くのことを吸収できていると思えました。
▼記者 ピアニストを目指したきっかけを教えてください。
●久末 ピアノを始めたのは5歳の時で、小中学生の頃はほぼ生活のメインでした。ただ、いろいろな世界を知っておきたくて、音楽高校ではなく普通高校に進学しました。そうしたら物理や科学の勉強が楽しくて、大学も理学部に進学するつもりでした。それが、受験に滑ってしまって。そんな時、自宅に1本の電話がかかってきたんです。中学1年の時に1度だけ大阪でピアノのマスタークラスを受けた(ドイツ・フライブルク音楽大の)ギレアド・ミショリ先生でした。僕のことを覚えていてくださって、たまたま京都に滞在していて僕の話が出たようで「明日、一緒にご飯を食べないか」って。
▼記者 すごい再会ですね!
●久末 お会いした時に、進路に悩んでいると話したら、先生が「ドイツでピアノを勉強するのはどう? フライブルクにおいでよ!」と言ってくれて、僕も「この流れに乗るしかないな」と。先生に「ドイツで勉強するなら早い方がいい」と背中を押され、慌ててピアノをさらい直して、ドイツ語の勉強も始めて、7月に受験し、10月にフライブルク音楽大に入学しました。3月下旬の電話からほぼ半年で、自分でも信じられないくらいの急展開。人生の方向が大きく変わりました。
▼記者 現代音楽への関心も、ミショリ先生の影響が大きいそうですね。
●久末 先生は作曲家でもあって、フライブルク音楽大で「この曲をやってみたら?」と現代曲を渡されることもあり、表現の幅がぐんと広がりました。さまざまな表現を知った上でクラシカル音楽を弾くと、例えばベートーベンはこんなにクリエーティブなことをしていたのかといった新鮮な驚きがある。聴く側もバッハを聴いてからベートーベンを聴くのと、現代曲を聴いてからでは捉え方が違うと思う。そんな聴き方も面白いかなと思って、僕はリサイタルのプログラムでも現代曲と古典的な作品を組み合わせたりするのが好きです。
▼記者 現在はベルリン芸術大に在籍し、研さんを積んでいます。
●久末 音楽の道は長いので、成長し続けられるよう自分を磨いていたい。ベルリンは優秀なアーティストが集まるホットスポット。演奏会に限らず展覧会や好きなバレエ公演にも時間が許す限り出かけます。ギャラリーなどでのちょっとしたコンサートも無数にあって、僕がそういう場で演奏することも。お客さまと距離が近くて楽しいですね。
▼記者 音楽を表現する時に大切にしていることは?
●久末 作曲家が込めた感情やメッセージを自分だからこそできる表現で伝えたい。理想は、その瞬間に生まれた音楽のように表現すること。インスピレーションを大事にして、感情をさらけ出している演奏はやっぱり人の心に届くと思うんです。僕は話す時よりもピアノを弾いている時の方がずっと感情的。だから汗だくになる。僕の場合、言葉では伝えきれない部分を音で表現できていて、ピアノがあって良かったなと思います。聴く人の心に届いて「聴いて良かった」「力をもらえた」と感じていただける演奏をしていきたい。
▼記者 入賞で、活動の場は大きく広がりますね。
●久末 コンクールで多くの人に演奏を聴いてもらい、たくさんの人から「素晴らしかった」といったメッセージをいただきました。僕は根は人懐っこいと思うんです。子どもの頃、家でピアノを練習する時は近所のみんなが聴けるように窓を全開にして、母が家事をしていたら「なんで聴かないの!」と言ったそうです。いいと思う音楽を、自分のピアノを聴いてほしいという気持ちは昔から強かったようです。そういうさがなんでしょうね。
☆ひさすえ・わたる 1994年大津市生まれ。高校卒業後ドイツに渡り、フライブルク音楽大、パリ国立高等音楽院で学び、現在はベルリン芸術大に在籍。2017年のミュンヘン国際音楽コンクール3位など入賞多数。25年10月ドイツのレーベルから、フランスの現代作曲家パスカル・デュサパン作品集をリリース予定。
☆今後の主な公演
10月13日 前田妃奈&久末航Duoリサイタル=香川・レクザムホール
10月18日 京都市交響楽団特別演奏会=京都府綾部市・京都府中丹文化会館
12月2日 「凱旋リサイタル」=東京・サントリーホール
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「クレッシェンド!」は、若手実力派ピアニストが次々と登場して活気づく日本のクラシック音楽界を中心に、ピアノの魅力を伝える共同通信の特集企画です。