史上最年少の18歳でアメリカのヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール優勝を果たし、一躍国際的な注目を浴びた韓国のピアニスト、イム・ユンチャン。7月に東京オペラシティコンサートホールで開いた来日公演ではバッハ鍵盤作品の最高峰とも称される「ゴルトベルク変奏曲」を披露した。その演奏は独創性にあふれ、これまで聴き慣れてきたバッハの音楽とは明らかに違うものだった。斬新と捉えるか、それとも異質と捉えるか。演奏会が終わった後も、不思議な余韻が長く頭の中に残っていた。(共同通信=田北明大)

 アリアで示される低音の主題を基に30の変奏が続き、最後に再びアリアが戻ってくる構成で、一般的な演奏時間は1時間以上。全曲を弾き通すには高い技術力はもちろんのこと、深い精神性も要求される大曲だ。

 したたる水を思わせる透明な響きが印象的な韓国の気鋭の作曲家イ・ハヌリの作品を弾き終えたユンチャンは澄んだ、それでいて鋭い意思を秘めたような音色で「ゴルトベルク変奏曲」のアリアの愛らしい旋律を奏で始める。表現は自在で、強弱のニュアンスの付け方も豊かだ。

 続くさまざまな変奏でも、同じ箇所を繰り返す際は大胆な装飾を加えたり、音域を変えたりするなど工夫を凝らす。リストやラフマニノフを弾くように音を分厚く響かせてクライマックスを作り上げる場面もあり、型にはまることのない展開を目の当たりにしてこちらも気が抜けなかった。

 一方で、その音楽からは何か冷たい孤独のようなものも感じられた。バッハの音楽は、高音部や低音部といった各パートが単なる旋律と伴奏の関係にならず、対話するように掛け合うことで美しい調和が生まれる面白さがあるが、今回の演奏にはそれぞれのパートが他のパートに負けないよう声を張り上げ合っているように聴こえる部分もあった。終曲に向かって演奏が熱を帯びるほど、不思議とそうした印象が強くなる。

 誰かとつながろうとして声を出すのに、誰もが必死でうまくつながることができない―。まるで現代社会の一面を見せつけられたようで興味深かった。

 それまでのすべての出来事を包み込むように穏やかに最後のアリアを終えると、余韻を打ち破るかのように大きな拍手と歓声が巻き起こる。クラシック音楽のコンサートとは思えないほどの会場の熱狂に驚いていると、ユンチャンはアンコールとしてこの変奏曲の左手の主題だけをさらりと弾き、せわしくお辞儀をして舞台を去っていった。

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 「クレッシェンド!」は、若手実力派ピアニストが次々と登場して活気づく日本のクラシック音楽界を中心に、ピアノの魅力を伝える共同通信の特集企画です。