石川県の第三セクター、のと鉄道の観光列車内で、乗務員の宮下左文(みやした・さふみ)さんがあの日の体験を語り始めた。2024年の元日、乗務中に揺れに襲われ、乗客を駅から高台に避難させた―。涙交じりの説明に、家族で乗車した穴水町の女性(33)は「当時を思い出して涙が出た。復興はまだまだだと思っていたが、少しずつ進んでいると実感できた」と話した。

 能登半島地震で被災したのと鉄道は、全線で運行を再開してから1年となった今年4月6日、「震災語り部観光列車」の運行を始めた。七尾駅(七尾市)と穴水駅(穴水町)を結ぶ全長33・1キロ、約45分の間、語り部の乗務員が自身の経験を交え、沿線の被害や復旧の状況を伝える。被災後3カ月で再起を果たした「希望の鉄路」は、住民や観光客の足として復興を支え、心のよりどころになっている。(共同通信=能登半島地震取材班)

「語り部観光列車」出発進行

 「震災語り部観光列車」の一番列車には、特別な乗客がいた。その1人が、千代川(ちよかわ)らんさん(26)だ。千代川さんは、宮下さんが乗務中に揺れに襲われた話に差しかかると、涙ぐみながら真剣な表情で聞き入った。

 「泣かないと決めていた」という宮下さんの目からも涙があふれていた。思い出すのはつらいと打ち明けながらも、その後、笑顔で話し続けた宮下さんの姿が印象的だった―。千代川さんはそう言い、誓った。「過去の災害を伝える者同士、お互いを気にかけて交流を続けたい」

 千代川さんは、東日本大震災で被災した三陸鉄道(岩手県)が運行する「震災学習列車」のガイドだ。のと鉄道の宮下さんたち3人が昨年7月、研修のために三陸鉄道を訪れた際、自身の体験を話していた。

三陸で芽生えた、能登の代弁者という自覚

 宮下さんたち3人は能登半島地震以前、観光列車「のと里山里海号」に添乗する観光ガイドを務めていた。被災後に観光列車は運休となり、中田哲也(なかた・てつや)社長(62)から語り部列車の計画を持ちかけられた。

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