プロ野球のレジェンドに現役時代や、その後の活動を語ってもらう連続インタビュー「名球会よもやま話」。第49回は山田久志さんが2度目のご登場です。284勝を挙げた「伝説のサブマリン」は引退後、オリックスの投手コーチとして1996年の日本一に貢献。中日監督時代は、その後に黄金期を迎えるチームの基礎を固めました。(共同通信=栗林英一郎)
▽「ヤマダをリースしないか」
指導者になる気持ちは、それほど強くはなかったと思うね。私の場合は自分が20年やってきたチーム、阪急が消滅した(オリックスへの球団譲渡)わけですから、リセットやもんね。阪急が残っていたら「いずれユニホームを」って強く思っただろうから、そういう(他球団の指導陣に入る)気持ちにはならんかった。引退してからは一番やりたいことをやっていたね。メジャーばっかり見に行っていた。毎年、1カ月ぐらい。カリフォルニアを全部回ろうとか、気候が良くなったら東海岸へ行こうとか。
メジャーのキャンプ方式には驚いたね。あれはやっぱり衝撃的だった。日本と全然違う。まさに個人。一人一人に練習メニューを渡してね。団体でやるっていう日本式の練習は、ほとんどないんだよ。投手と野手は分かれているし、監督やコーチはどこにいるんだろうって。日本のキャンプと、こんな違うんだなと思って。すぐオープン戦に入っていくんだね。2月の真ん中ぐらいに投手が集合して、ちょっと野手が遅れて来て、その野手が来たら、すぐピッチャーが実戦で投げる。だから自己責任だね、みんな。それと「振るい落とし」にびっくりした。日本のキャンプは若手に力を付けさせて引き上げていく方針があるんだけどさ。逆だったね。そこの違いが一番驚いたことかな。
(現役時代に)日米野球に選ばれて大リーグの彼らとやるじゃないですか。すごい選手を目の当たりにするんだよね。ちょっと憧れみたいのがあった。ボルティモア・オリオールズが来日した時(71年の日米親善野球)に、巨人と阪急の連合軍で私が完投勝ちした。それが日本のチームが2勝(12敗4分け)したうちの1勝なんですよ。それでね、オリオールズから阪急に「ヤマダを1、2年リースしないか」って話が来たんです。当時の西本幸雄監督に「まさか行く気じゃないだろうな。おまえみたいなやつが、まだ行けるか、アホ」って言われて終わったんだけど。あの時は何か現実的になっていたんじゃないか。野茂英雄のずっと前。大変な騒ぎになったと思いますよ。
▽左打者が打ちにくい右投手がいるはずだ
(オリックスのコーチ就任前は)NHKの番組出演や解説をしなくちゃいけないから、拠点を東京に移していた。