かつてスピード出世の花形力士として一世を風靡した大相撲の幕内遠藤は今、往年とは異なる光を発している。2025年の10月で35歳。端正なマスクと、長きにわたる沈黙の奥底には壮絶な覚悟があった。災害に遭った故郷の石川県への思いとともに、長く閉ざされた胸中に迫った。(共同通信=田井弘幸)
▽重傷を負った両膝に「祈る」、神頼みの10年
西前頭9枚目だった25年3月の春場所。7勝7敗から負け越し、支度部屋に戻った遠藤は腰を下ろすのもやっとだった。ほとんど曲げられない両膝は「手の施しようがない」と漏らす。場所後のわずかな休みにすることは「祈る」。次の本場所はおろか、次の一日も動いてくれとの神頼みにも似た状態なのだという。その一方で意義深い事実に気が付いた。「力士では恐らく自分が初めてでしょう。両膝の靱帯が切れて、どっちも手術しないで10年やったのは」。誇らしさよりも、耐えてきた10年間の険しい道への感慨が上回った。
入幕10場所目で臨んだ15年春場所。西前頭5枚目の遠藤は2日目から4連勝とした5日目に大けがを負う。土俵際で松鳳山を突き落とした際、左膝がねじれた。前十字靱帯断裂と半月板損傷。大勢の報道陣と騒然とするファンに囲まれ、車いすで館内を移動する表情はぼうぜんとしていた。日大から幕下10枚目格付け出しでデビューし、3年目を迎えていた。髪の毛の伸びが出世に追い付かず、関取の象徴である大銀杏ではなく、まだ普通のちょんまげだった。当時24歳。さっそうと現れたスター候補にとって、長い苦闘の始まりとなった。
▽両翼を失うも拒んだメス「第二の相撲人生」
右膝に同じ重傷を負った大学3年時に続く試練。「プロに入った時点で片方の翼がなかった。それでもやれたから、もう片方を痛めても、できると考えてしまった」と明かす。複数の医師に両膝、せめて左右どちらかだけでも手術を受けるよう強く勧められたが、メスを拒んだ。