8年前の2017年3月27日、栃木県立大田原高校山岳部の1年生だった三輪浦淳和(みわうら・じゅんな)さん(24)は、県の高等学校体育連盟が主催する登山講習会に参加していた。場所は県内の那須町にあるスキー場近くの国有林。一帯には前日から雪が積もり、雪崩注意報が出されていた。

 午前8時前、生徒12人と引率教諭2人で班になり、雪上歩行訓練を始めた。それからしばらくして、雪崩に巻き込まれた。

 「生きていない色」をした仲間の姿が、三輪浦さんの目に焼き付いている。雪崩では大田原高校の男子山岳部員7人と引率教諭1人が亡くなった。当時の責任者だった教諭を巡る刑事裁判は今も続いている

 悲しみは今も整理できていない。だからこそ、風化させてはいけないと考える。その思いは三輪浦さんだけではない。あの日、息子を失った父や母は、自らの痛みを伝え、山に向かう人に願う。「みんな、生きて帰ってきてほしい」(共同通信=鷺森葵)

後悔も…「楽しかった場所を残したい」部長就任、ブログ開設

 三輪浦さんによると、雪崩は急斜面で発生した。埋まった後は「上下が分からなくなり、酸欠で意識がもうろうとした」。約2時間後に助けられ、左脚に約3週間のけがを負った。

 救助では力になることができず後悔が残った。それでも「楽しかった場所を残したい」と山岳部にとどまり、2年生の夏からは約1年間、部長を務めた。仲間を思い出すのは山での場面より、何げない日常のシーンのほうが多いと笑う。「山岳部なのにキャッチボールばかりしていた。きれいじゃないバケツで水を回し飲みしたりもしていた」

 事故から1年たった2018年3月からは、実名でブログ「山の羅針盤」を始めた。亡くなった先輩との思い出や、仲間の人となりを知ってもらい、事故の経験を伝えて再発防止につなげたいとの思いからだった。

 高校卒業後の2019年秋にはアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロを登頂した。亡くなった先輩2人と、将来登ろうと約束していた山だ。三輪浦さんはブログにこうつづった。「先輩たちと見たかった景色はこれだったのか、と1つ1つの瞬間を噛み締めていました」

大人は子どもを守る責任がある

 8年たつ今でもつらい記憶が突然よみがえり、眠れなくなる時がある。

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