フィギュアスケートの演技の合間に、リンクに投げ込まれた選手へのプレゼントや花束を回収する小さなスケーターたちがいる。「花束スケーター」、「フラワースケーター(フラワーガール)」などと呼ばれ、トップ選手には経験者も多い。だが、新型コロナウイルス感染拡大を受け、日本のほとんどの会場では花束の投げ込みが禁止となり、こうしたスケーターたちも姿を消した。今年1月に開かれたアイスショー「名古屋フィギュアスケートフェスティバル(名フェス)」では、4年ぶりに花束スケーターを復活。そこには、どんな思いが込められていたのか。選手や関係者に話を聞いた。(共同通信=品川絵里)

 ▽憧れの選手と同じ時間、空間を共有し、スケートにのめり込むように

 昨季の全日本ジュニア王者、中村俊介(19)=木下アカデミー=にとって、人生を変えた出会いがある。11年前の2014年4月。地元、名古屋市ガイシプラザで開催された第11回の名フェスで、当時小学3年生だった中村は「花束スケーター」を務めた。

 リンクに投げ込まれた花やプレゼントを拾い集める役割で、スポットライトを浴びることはない。それでも、憧れの選手と同じ時間、空間を共有できる機会に胸は躍った。

 そんな興奮は、出演者と一緒にリンクを1周するフィナーレで最高潮に達する。手をつないでくれた人こそ、わずか1カ月半前にソチ冬季五輪で金メダルに輝いた羽生結弦だった。

 19歳にしてフィギュアスケートでアジア人初の五輪制覇を成し遂げ、翌月の世界選手権も初制覇した時の人は、まだ無名だった中村にも優しく接してくれたという。「そこから羽生選手にすごい憧れた」。目の色を変えて、スケートにのめり込むようになった。

 ▽原点は2003年 きっかけは安藤美姫、浅田真央ら新星誕生

 「名フェス」の原点は2003年の春にさかのぼる。

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