米プロバスケットボールNBA、レーカーズの八村塁(富山市出身、奥田中出)の母校、仙台大明成高(宮城)でバスケットボール部監督を長年務めた佐藤久夫氏が6月8日、73歳で死去した。数々の選手を明成に送り出した奥田中バスケ部コーチの坂本穣治氏が、十数年に及ぶ交流を振り返りながら、希代の名将を偲んだ。
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春休みに最後の会話
坂本氏が佐藤氏と最後に話したのは、今年の春休み期間中だった。佐藤氏から突然電話があり「(優れたバスケ)選手、いるんだろ?」と聞かれ、坂本氏は「来年(の卒業生)ですね。お世話になりたいと思いますので、育てますよ」と応じた。「今となっては、気になる電話です」と、坂本氏は空を見つめた。
佐藤氏は4月ごろから、試合などで車いすに乗る姿が見られた。5月上旬まで指導を続けていたという。佐藤氏からの電話は、熱心なスカウトだったのか、久しぶりに坂本氏と会話したかったのか、あるいは、1年後も変わらずバスケの現場に立ち続けようと、自らを鼓舞するものだったのか。坂本氏に、確かめる術はもうない。
6月5日、坂本氏が師と仰ぐ、バスケ女子日本代表元監督の原田茂氏から「佐藤氏と全く連絡が取れなくなった」と聞かされた。その3日後、訃報は全国ニュースとして広まったが、坂本氏は先んじて、各方面からの連絡で知ることとなる。中には、高田歳也(新生紙パルプ商事)ら奥田から明成に進学したメンバーも含まれていた。「ちょっと急だなって……」。坂本氏は悲報に絶句する。

バスケの「技あり一本」