「人の目が怖くて、周りにどう思われるのだろうかって、そればかり気にしていた」。中学・高校時代に不登校を経験した富山市の米谷豊さん(40)は当時を振り返る。

 受験を控えた中学3年の2学期から学校に行けなくなった。親の期待に自分の学力が伴わずプレッシャーを感じたことが一因だが、理由ははっきり覚えていない。自室にこもり、2週間ろくに食事をせず顔は痩せこけた。父親の貞吉さん(73)は「育て方が悪かったのだ」と自分を責めた。

 進学した私立高校でも雰囲気になじめず、入学式の翌日から出席できなくなった。「不登校はどの子にも起こり得ること」。文部省(現文部科学省)は1992年の通知でこう位置付けたが、まだ「問題行動」との意識が根強い時代。相談所を訪れると「なぜ親を困らせるのか」と問い詰められた。「登校拒否」と呼ばれていた昭和の終わりから不登校は増え続け、社会の目が向くようになった。

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 長年、不登校やひきこもりの若者を支援してきた「ひきこもり家族自助会とやま大地の会」代表の山岡和夫さん(67)=上市町=は元高校教員で、定時制(単位制)・通信制高校に17年勤務した。中学時代に不登校を経験した生徒も多く、その一人が私立高を中退して入ってきた米谷さんだった。

大地の会の例会で話し合う(左から)山岡代表と米谷豊さん、父親の貞吉さん=県総合福祉会館

 母親の送迎で米谷さんが学校まで来ても、「やっぱり無理だ」と足が進まない日は、顔色を見て帰らせた。「ゆっくり休み、力を蓄えたらまた進み出す」と信じて待った。

 米谷さんは信頼できる教員に出会い、高校と大学を卒業。仕事がうまくいかず、再びひきこもりのトンネルに入ったが、現在は立ち直り、作業所でメール便の配達に励む。

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 平成の終わり、内閣府は40~64歳のひきこもりの人が全国に61万3千人いるとの推計を発表した。不登校の延長からひきこもりになっているケースも多い。不登校は「学校」を舞台とした課題だったが、有効な手だてがないまま、社会全体に広がっていることを示す。50代の子どもが80代の親を頼って生活が困窮する「8050問題」は新たな課題となっている。

 学校に行けなくなった子どもたちが共同生活を通じて自立を目指す「ピースフルハウスはぐれ雲」(富山市万願寺・大沢野)でも入寮者の年齢が上がっている。30年前の開設当初は中高生が中心だったが、今は30~40代も少なくない。若者と寝食を共にしてきた川又直さん(65)は「8050問題は30年前から予測できた。国や学校現場の危機意識が薄かったのが問題」と話す。

 はぐれ雲は、共同生活と農作業を通して生活のリズムを整える。昼夜逆転の生活を送ってきた若者たちも、親から離れた環境に身を置き、規則正しい生活を送ることで落ち着きと自信を取り戻す。

 自立支援施設やフリースクール、適応指導教室…。生きづらさを抱える子どもたちの居場所は増えた。文科省は2016年に出した通知で、「学校に登校する」という結果のみを目標にすべきでないとし、多様な学びの場を認める。川又さんは「学校だけが選択肢じゃない。大事なのは将来、就労できるよう立ち直ることだ」と語る。

 不登校、ひきこもりから抜け出した米谷さんは大地の会の例会に毎回参加し、自らの経験を伝える。今、苦しんでいる子どもたちにはこう言いたい。「生きることだけは諦めないでほしい」

不登校
病気や経済的な理由を除き、何らかの心理的、情緒的、身体的な要因などにより年間30日以上の長期欠席を定義する。文科省の調査によると、県内の公立小中高校で不登校になった児童生徒数は、現行の統計方式となった2004年度以降、1000~1300人台で推移し、17年度は1224人だった。中高生が減少傾向にある一方、小学生は04年度の175人から17年度は276人と増えている。

2019年5月22日北日本新聞・webunより