十数年前は、どの作品をすくいあげようかと悩むことが多かったが、近年はどれを外そうかと頭をかかえるようになった。
それほどにいい意味で拮抗(きっこう)しているが、今回は、文章の密度も素材も小説のつくりも尾野森生さんの「PoET」が群を抜いていると感じて、迷わず入選作にした。
死者の思いや感情は場所や物にしみのように残る、という思念を依処(よりどころ)としてPoETというサイトが、それを言葉に変換する有料のサービスを設けている。主人公は父親の唯一の遺品である眼鏡を送って父親の最後の心を知ろうとする。
はたしてAIがどんな答えをもたらすのか。
小説としてじつにおもしろい素材であるが、尾野さんは手慣れた練達の筆さばきで効率よく短編に仕上げた。
南海トラフが起こったあとという近未来であるにしても、大地震の被害がどれほどだったのかに数字として触れていないのは納得できない。そこは残念ではあっても、この落ち着いた文章と静かな世界の構築は賞賛(しょうさん)されるべきだと思う。
選奨とした浅野哲平さんの「すみのはな」は書道教室に通う女子中学生の視線で書かれていて、清潔感のある短編だ。さほどのエピソードもない平凡な作品だが寂寥(せきりょう)感を放っている。小説になりそうでなっていないというもどかしさがあるが、それが書道教室の静謐(せいひつ)さを表現している。
この女子中学生は、どう読んでも高校生であろう。昨今の女子中学生の使う言葉ではない。他の候補作と比べると、わずかに優れていると思い、選奨に選んだ。
もうひとつの選奨作、伊藤穂波さんの「声」は水槽で飼われている一匹のサンショウウオが主人公であろう。飼い主の夫婦が狂言回しであって、目立った動きをしない、無言のサンショウウオが水槽のなかからなにを見ているのか。「無言の饒舌(じょうぜつ)」ということを感じさせる小さな力を持つ作品だと思った。
青乃家さんの「麦酒の味」はいつどこにでも起こるであろう日常のエピソードの羅列とともに、友人の急死が混じり合って、そこに第三のビールの味へと帰って行く。
高校時代の青さと、現在とのへだたりをビールの味で表現したのだろうが作品の世界が小さいと感じた。だが、淡々と書きつづけられるのは筆力があるからだ。
水飼心さんの「Bサイド」はプロの格闘技選手が主人公だが、読んでいくうちにどうも違うなと気づく。その格闘技選手と対戦して大怪我(けが)を負い再起不能となった人が語り手だと気づくまでに時間がかかった。いろんな世界が書ける人のようなのだが色彩を感じない。もっと色彩の多い小説世界を書けるようになればいいのにと思う。
小島エマさんの「夏のつづき」は、読みやすくて、コンパクトにまとまっている。それは言い換えれば、小さくてひろがりがないということでもある。
ふたりの中年の男女にやがて芽ばえるであろうものが最初でわかってしまうが、老年の入り口に立たなければ生まれなかったであろう感情がよく描かれていると思う。
