日本を代表する俳優、吉永小百合(よしなが・さゆり)さんは、原爆詩の朗読など、平和な世界を願う活動をライフワークとしている。1945年生まれ。「戦後」という時代とともに歩んできた吉永さんに聞いた。

 ―幼い頃、戦争の話を聞きましたか?

 「あなたは防空壕(ごう)で育ったようなものね」と、母から言われていました。生まれたのが東京大空襲の3日後の3月13日で、自宅があった渋谷は5月にひどい空襲に遭い、家のそばまで焼けたそうです。空襲警報が鳴るたび、母は赤ん坊の私を連れて近くの防空壕に退避していたと聞きました。

 子供の頃は、家の中で戦争の話をすることはほとんどありませんでした。中学生の時に「どうして戦争になっちゃったの? 戦争をやめようって言わなかったの?」と母に尋ねたことがあります。母は「言えなかったのよ」と一言だけ答えて黙っていました。私には戦争中の雰囲気は分かりませんが、とても重い言葉だと感じました。そういう世の中になったらいけないなと思ったことを今でも覚えています。

 ―原爆詩の朗読をライフワークにするようになったのは、なぜですか?

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